音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。
第16回目は、レコーディングエンジニアの岡部潔さんです。キャリアあるベテランのエンジニアさんですが、出発点はメンテナンスエンジニアだったのこと。最近は映画の仕事を含め、サラウンドのお仕事が多いという岡部さんの都内スタジオのお邪魔し、お話をお伺いました。
2008年11月27日取材
〜少年時代、生録の原体験〜
Rock oN:音楽へ目覚めたきっかけをお伺いできますか?
岡部潔氏(以下 岡部):小学生の頃、親が6mmのSONYのオープンデッキを持っていたので、外に出て家の近くを走る電車の音や、テレビ音声の生録を始めたのがきっかけですね。その後、FMラジオのエアチェックもよくやりましたが、ラジオにマイクを立ててました(笑)。
中学生になって、オープンデッキを自分でバラして壊してしまったんですが、オープンデッキの音が好きだったので、高校の始めの頃にバイトしてお金を貯めてTEAC A-6100を買いました。中古だったので、10万円くらいだったかな。秋葉原まで買いに行ったんですが、一人 で無理して手で持って家に帰りました。すごく重かったですよ〜。高校の入学の時に高級コンポを買ってもらったんですが、高級といっても子供にとって「高級」というわけで、いわゆるセパレート・コンポですね。
ギターを買ってもらってからは、演奏する方も楽しくなったので、当時流行っていたフォークなどを弾いてました。その後、ニューウェーブ/テクノブームが来たので、友達からシンセサイザーを借りたりして、ピコピコ遊んだりもしました。多重録音にもはまって、友達からカセットデンスケを買って、オープンデッキと組み合わせてピンポン録音をやってました。楽しかったですね。
〜プログレ・多重録音青年時代〜
Rock oN:バンドでみんなと合わせて演奏するというより、一人で多重録音という方だったんですね?
岡部:そうですね。高校は電気科だったので、学校に行けばハンダゴテなどの道具やパーツがいっぱいあったので、ロッキンfの製作記事を見てコンプレッサー、フランジャー、それにミキサーまで自作もしてました。
Rock oN:どんなジャンルだったんですか?岡部:僕の場合はプログレですね。スティーブ・ハケットのこのアルバムが一番好きなんですよ。今だにリファレンスCDはこれだったりするんですよ。人に言うと笑われるんですが(笑)。
幼い時の影響は大人になっても大きく残るものです。岡部さんの場合、家にオープンデッキがあったということが、今のキャリアに繋がっており、子供にとって育つ環境がいかに大切かわかります。今でもスティーブ・ハケットのCDが、お仕事のリファレンスになっているということですが、早くに受けた影響がいかにその人の進む道を大きく左右するかということで、ある意味、音楽って恐いものかもしれません(?)以後、この「実際に体験すること」がキーになってお話が進みます。
〜キャリアのスタートはメンテナンス・エンジニア〜
岡部:レコーダーなどの機材を触るのが好きでしたので、最初に就いた仕事はメンテナンス・エンジニアだったんですよ。最初、国際放送企画という会社にメンテナンス・エンジニアで入ったのですが、川口に工場があって、8トラカセットの倍速のデュプリケートのサービスをやっていて、そのメンテナンスをやっていたんです。二十歳そこそこの若者だったので、メンテナンスと言っても下働きですけどね(笑)。
アナログテープレコーダーのバイアス周波数は100Kで、8倍、16倍といった早さで倍速ダビングするから高周波の世界になるので、ケーブルを少し動かすだけで特性が変わってしまい、結構シビアな仕事でしたね。でも、メンテナンスというより、僕は機械を端から壊してたという感じだったので、先輩から怒られてました。会社は音楽スタジオも持っていて、その後、人手が足らないということでナレーション録りの部署に移動になり1年くらい居ました。アナウンサーのご機嫌をとるのも重要な仕事だったんですが、とり損なって「あなたとは、やんない!」と言って帰られちゃうということもありました(笑)。
Rock oN:ご希望部署へ移動できたということになるんですか?
岡部:いや〜、もっと音楽に近い部署に行きたかったので、部長の家に電話して「音楽スタジオに移らせて下さい。」とお願いしたんです。加えて自分でも、ナレーション録りの仕事が終わったら音楽スタジオに通うことを1ヶ月くらい続けたら、「じゃあ、そっちに行かせてやるか。」という話になって、音楽スタジオの部署に移動になりました。そのスタジオは、赤坂ミュージックスタジオというんですが、演歌やカラオケの仕事が多かったですね。
会社にはもう1つスタジオがあって、アルフィーとか米米クラブとか、当時新しい音楽をやってたんですが、僕が移動になったのは地味な方のスタジオだったんですね。でも、古くから歴史ある場所なので、ゴダイゴやシーナ&ロケッツなどの原盤がスタジオに置いてありましたよ。昔はマルチを置きっぱなしにすることが多くあったんですね。スタジオ仕事を始めて半年くらいはティーボーイの仕事だったので、仕事が終わって夜中になってから、自分で機材を触って勉強してました。でも、しばらくして、そのスタジオが古いということで、閉鎖されたんですよ。当時はフェアライトやシンセなどが出て来た時期なので、同時録音する大きな箱がいらなくなってきたという事情もあったようですね。
Rock oN:では、他のスタジオに移られるわけですね?
岡部:はい。22、3歳の時ですが、フリーポートスタジオに移りました。船山基紀さんや鷺巣詩郎さんといった歌謡界で活躍される作家さんたちが所属するところだったんですが、トシちゃんやキョンキョン、少年隊、CCBなど、80年代の歌謡曲の仕事をアシスタントで沢山やりました。フェアライトをはじめ、シンセが沢山並んでいて、スタジオのアシスタントというより作家のボーヤといった感じでした。
打ち込みはRoland MC-4でやっていて、Macintoshが出て来た頃だったと思います。僕はシンセや打ち込みが好きだったので、喜んでフリーポートに移ったんですね。家に帰らずにほとんどスタジオに居ましたよ。フェアライトも自分でマニュピレート出来るようになったし、他にも色んなことを勉強出来たので、シンセオペレーターやCMのバイトもスタジオ以外でしてました(笑)。フリーポートには1年半くらいいて、その後に久石譲さんがスタジオ、ワンダーシティ/ステーションを作られるという話が来たので移りました。久石さんの仕事ですので、オーケストラものが録れるということで、興味もありました。
Rock oN:当時、ご自分でも機材を購入されていましたか?
岡部:はい、その頃から自分でも機材を集めるようになりました。ヘビームーンさんが機材レンタルで「足らないものがある」ということで、僕の機材を借り上げてくれたこともよくありました。当時はヘッドアンプをレンタルすることは少なくて、リバーブやディレイといったデジタルエフェクターが多かったですよ。今は、当時と逆で、ヘッドアンプへの需要が多いですよね。
Roland SRV-330、QUANTEC、Lexiconなど、当時購入した機材は今でも押し入れにありますが、もう登場する機会はなくなりましたね。
Rock oN:フリーになったのは?岡部:25、6歳の時ですね。ワンダーステーションを辞めてフリーになりました。ちょうどバブル期だったので、仕事が沢山あったという事情もありましたね。
〜素材へのこだわり/原体験が元になるご自分の求める音〜
Rock oN:岡部さんのように、ご自分で外に出て音を録ってこられるベテランの視点からお伺いしたいのですが、今の世代の人たちは、シミュレーション技術やサウンドライブラリを始め、素材が最初から与えられている環境がそばにありますが、それが逆に、音楽を作る上での楽しめる要素が少なくなっていることはないですか?
岡部:「こうしろ!」みたいな押し付けがましいことを言うようなことは僕にはないのですが、各世代で原体験があるはずだからその体験を元に自分の好きな音を見つけて録ればいいんだと思いますね。僕はスタートがオーディオブームの頃なので高級指向の音が好きなんですが、それだけじゃなく、テクノブームも体験してるのでピコピコ音も好きだし、FENも聞いていたのでコンプでパコパコの音も好きなんですよ。それぞれの原体験が元になって今の自分の好みを作っています。
フリーになった頃、世の中ではAORが流行ってたんですが、自分のなかにAORの体験というものがなかったので、知り合いのアーティストがロサンゼルスにレコーディングに行くということで、現地の音を体験する目的で、2ヶ月くらい彼にくっついて行ったんです。デビッド・T・ウォーカーがプロデュースだったので、彼の周辺にいるメンツが揃っていたので、仕事として勉強になりました。自分でやりたい音があるなら、まずそこに行って原体験を増やすことが大切だと思います。
福岡ユタカさんとの仕事では、中国、モロッコ、マダガスカル、チベットに行って、現地の街の音を収録したり、現地ミュージシャンとセッションした素材を元にして曲を作るということをやりました。その際、自作でダミーヘッドマイクを作って、レコーディングしたんですよ。現地にはコーディネーターがいる訳なんですが、唯一マダガスカルはアポなしの状態だったので、現地でミュージシャンを探したりと大変だったですよ。
セッションが盛り上がってくると、他のミュージシャンが飛び入りしてきたりするので、僕はそのタイミングを逃さないようにDAT 2台をスタンバイして待機してるんです。いつ始まるか分からない時もありましたし(笑)。でも、色々苦労がありましたが、楽しかったですね。
若いエンジアのなかにも、録りに興味をもってる人がいて、「見学させて下さい。」とやってくることもあります。やはり実際に現場に行って体験することが大切だと思います。
Rock oN:これからの予定をお聞かせ願いますか?岡部:仕事としては、映画「20世紀少年」3部作の「第2章 最後の希望」が終わりつつあるところです。個人的要望としては、もっとサラウンドが増えて欲しいですね。世の中的にも新しいことが始まった感じがないといけないじゃないですか。mp3の方に行くよりは、個人的には空間が広い方が好きですし、クラブイベントのサラウンドの仕事も結構やったんですが、かなり面白いですよ。
Rock oN:最後に質問ですが、岡部さんにとって“音楽”とはなんですか?岡部:仕事であり、趣味であり、人生でもあるので、ひっくるめて全部ですね。もう、音楽がない生活なんて考えられないです。
「自分の音を作るために、海外まで足を運んで来た」という岡部さんですが、現地で本物の音を聞いた事があれば、自分の中に確実な基準をもつことが出来るので、やることにぶれがないはず。岡部さんの、淡々とされるお話の中にも音に対する誠実さを感じることができたのは、その「原体験」が確実なものとしてあるからでしょう。生のオーケストラを1度も聞いたことがない人が、ストリングスの音をパソコンの中でいじってるかもしれない現在の状況ですが、音楽の楽しさだったら、明らかに岡部さんのおっしゃるような「体験して作る」方が断然上でしょうね。
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