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【11】分岐点に立つ
1980年頃、シーケンサーが画期的な進化を遂げ、ポップ音楽のメインステージで不動の座を築いた。それまでの自動演奏はアルペジエーターのように生演奏の延長上にしかなかったが、MIDIの出現により音符、音の強弱、フィルターの位置などをメモリーに貯蔵し、後で呼び出したり編集することも可能になった。その後パーソナル・コンピューターが普及するにつれ、電子音楽は再現性が高く、クリーンで行儀よく管理された音楽の形態を意味するようになった。
しかしこれは初期の電子音楽から見れば変貌であり、変節だった。そもそも電子音楽は不定形でオープン・システムなものとして進化していたからだ。演奏する度に結果が変わるものであり、作品は「曲」ではなくむしろ自己を演奏する「システム」だった。前衛・現代音楽の領域、つまり押入れの奥深くにあった「純粋な」電子音楽。それを日本の技術者のたゆまぬ刻苦勉励がライオネル・リッチーやマイケル・ジャクソンの方向へと、ところてんのように押し出したのだった。
筆者が1982年にハーバード大学の電子音楽教室に入門した頃、「スタジオにはキーボードの持ち込みを禁ずる」というルールがあった。バンドマンたちがポップ・ミュージックやフュージョンで使われるプロフェットやオーバーハイムなど新型ポリフォニック・シンセに対する強いあこがれを持っていた時期に、あえてこのルールが前面に押し出されていた。スタジオを「高価なシンセの代用になる」存在にしたくないという恩師・チェレプニンの頑なな姿勢だった。
ピアノの弦に金属食器をプリペアした状態
この教室にはキーボードはなかったが、ピアノが置いてあった。しかし改造されており、どの鍵を弾いても「がちゃん」という音がする、プリペアド・ピアノだった。
内部奏法とプリペアド・ピアノ - フェリス女学院大学
プリペアド・ピアノを発明した
現代音楽家ジョン・ケージ
プリペアド・ピアノを「ちょっと弾いてみるか」という学生はいなかった。言わば、「普通の音楽に戻そうとするんじゃないぞ」と威圧するオブジェとして置かれていた。同時に「これまでのルールに囚われず、音楽をゼロから作り直してもいいんだ」という挑発の刻印でもあった。
1学期目の半分は、アナログテープに野外で録音した「1秒の音声」をループにしてピッチを変えたり、EQを通したりしながら加工・変形・編集することに費やされた。筆者は街角に立って発声した「あー。」という声の1秒間をひたすらループさせていた。「あー」が数週間を経て「おー」になったりしていた。
当時、スタジオには「Buchla=ブクラ」というメーカーが研究機関や大学専用に制作していた初期のモジュラーシンセがあり、授業の中でオシレーターやCVの使い方を伝授された。この時に強調されたのが、「音を意のままに操ろうとするのは間違っている」ということだった。説明しよう。
エントロピーという概念がある。これは物事の乱雑さを表す物理の用語だが、20世紀の現代音楽には早々に取り入れられていた。音のピッチなどを制御するのが困難ならば、いっそのこと即興的に遊ぼう。自己生成するパッチを組んで勝手に自動演奏させよう。そんな美意識が電子音楽のパイオニアたちの間で定着していた。さらにこれがジョン・ケージのような作曲家によって東洋思想や禅の精神と同一視され、作品名にも「竜安寺」といった日本語のタイトルが採用されていった。
19世紀末までの西洋音楽は一概にエントロピーの排除に技術的な努力が注がれていた。和音の展開を限界ぎりぎりまで拡張し、12音階のシャープやフラットを全部使いきってしまうほどに爛熟していた。これに対して20世紀前半の音楽は既存のルールを破壊することに心血を注ぎ、革命を目指した。その強力なツールの一つがエントロピー、つまりランダムさだったのだ。
ランダムは奥が深い。一方では無機質な感覚をもたらし、人間が美意識や肉体でコントロールしていない、あるいはできない領域へと注意を向ける。ランダムな音列を一度聞いてそのまま口ずさむのは難しい。あえて「口ずさめない」ことを目的にしてランダムな音列は採用される。
しかしもう一方でランダムは、顕現意識よりも無意識、随意筋よりも不随意筋といった、我々の一部なのだが直接触れられないエリアとの合一をも示唆している。つまり日頃は意識していない自分と出会い、自我を越えて感覚を広げることを目指している。電子音楽を紡ぐことは、ヨガのひとつなのだ。
筆者は恩師・チェレプニンに騙されるようにしてスピリチュアルや錬金術の本を読み、ランダム街道を散策した。そこに見出したのは東洋的な瞑想の境地だった。喜多郎氏の「シルクロード」にあるようなきれいでキャッチーなメロディーは、そこにはなかった。筆者は熱烈にランダムの信徒になった。その後遺症は今も続いている。たとえば店舗の中でBGMが鳴るとそのBGMではなく、周りの「ガヤ」と一体化したテクスチャーを聴いてしまう。もはや旋律ではなく、音響や「絵」のようにしか音楽が聴こえない。だが今はその話に深入りしたくないので、本筋に戻そう。
1982年、学期末の課題の1つに「パッチのスコアをもとにモジュラー作品を実現せよ」というものがあった。「実現」とは英語で「realize」である。アイデアを具体的なパフォーマンスや録音へと固定させる、といった意味合いを含んでいる。これは「演奏する」という解釈よりも一回り大きな、その作品にまつわる「場」に憑依されるようなニュアンスを含んでいた。
「エントロピカル・パラダイス」のパッチ図
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学生たちに配られたのはDouglas Leedyという作曲家の「エントロピカル・パラダイス」というスコアだった。これは「Buchla」シンセの複雑なパッチを組むことによって「実現」する作品で、タイトルは「エントロピー=乱雑さ」と「トロピカル・パラダイス=南国の楽園」を組み合わせた造語だ。パッチは図のようになっている。
「エントロピカル・パラダイス」のスコア
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この1969年の作品ではピンク・ノイズやFMらしき接続がなされている。空間の広がりを得るため、アナログのリバーブを通している。今日の基準から見るならとても簡単な音響だ。しかしパッチの構造の中でCVがフィードバックするため、シーケンスの再生速度や頻度や停止のタイミングがランダムに揺れ動く。スコアには「どのツマミも設定を変えて良い。一度パッチが自動演奏を始めたら、あとは放置してもよい」といったメッセージも書き添えられている。
※ Allen Strange ”Electronic Music” (1983) p.244からキャプチャー
作曲家本人による当時の「実現」もYouTubeにあった。
Entropical Paradise
Douglas Leedy 1968 Complete Album
(画像クリックで再生)
要するに、モジュラーシンセはそもそも「不随意なツール」として設計されていた。技術の精度が上がるにつれ、「かっこよく」弾くキーボードのエンジンとして認知されるようになったが、本来は混沌とした電子の海の中に秩序の「島」が浮かび上がり、そしてまた消え、生々流転を繰り返すシステム、つまり宇宙そのものであった。
日本産のデジタル・シンセが世界中で爆発的に普及するにつれ、モジュラーシンセサイザーの零細な工房は次々と閉ざされていった。しかしIT革命がよりディープな方向に進むとファットな音圧が求められ、今やビンテージだけではなく、最先端でリバイバルしている。
これまでこの連載では「Silent Way」などのVSTプラグインを使って非常に正確な音程の制御が可能であり、商業音楽にも十分組み込めるモジュラーの底力を解説してきた。それを望むなら、アナログ・オシレーター独特の「揺れ」も抑止できてしまうことや、サンプラーに取り込んでがっちりと制御できるプロ・ユースの側面をも描写してきた。だが、実はモジュラーの真骨頂は「直観の海」の中にこそある。次回以降はエントロピーを削るのではなく、増幅させる機能や実験音楽的な使い方を紹介していきたい。
【参考資料】
☆☆ライブのお知らせ☆☆
5月24日・土曜 西麻布「BULLETS」にてモジュラー・シンセを持ち込んだライブをやります。
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モーリー・ロバートソン プロフィール
日米双方の教育を受けた後、1981年に東京大学に現役合格。日本語で受験したアメリカ人としてはおそらく初めての合格者。東大に加えてハーバード大学、MIT、スタンフォード大学、UCバークレー、プリンストン大学、エール大学にも同時合格。1988年ハーバード大学を卒業。在学中に作曲家イワン・チェレプニンに師事、モジュラー・シンセを専門的に学んだ。現在はテレビ、ラジオ、講演会などで活躍中。
2014年4月に独自の英語塾「リアル・イングリッシュ」を開催。