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なんとか日が暮れる前にNEOPASA 浜松 上りに到着!なんと驚いたことにNEOPASA浜松は上りも下りもそっくりな建物!こちらにも鍵盤をあしらった意匠が凝らされています。あまりにも似ているので少しデジャヴ的な不思議な気分になっていましたが、気を引き締め直して、続いてのMUSIC SPOT YAMAHAブースをレポートしましょう!
MUSIC SPOT YAMAHAブースに着いた時は運良くコンサートが開催されていました。入り口のガラスには「映像に合わせて動く鍵盤にご注目」の文字が…。
ブースに入ってなるほど納得!YAMAHAが誇る新コンセプトのアコースティックピアノ 「Disklavier C3-DKV-pro」が映像とシンクロして演奏をしています!この時はかなえ&ゆかりの連弾デュオ「Duetwo (デュエットゥ)」のライブ演奏が再現されていました。画像に合わせて鍵盤がパラパラと動いています!
この演奏はDisklavier全シリーズに搭載された機能の一つである「ビデオ同時録再機能」によって行われています。この機能を使って録音を開始すると、ピアノ演奏をMIDIデータとして記録しながら、同時に同期信号を発生させます。この同期信号を、動画を撮影しているホームビデオカメラの音声トラックに記録することで、その動画ファイルがシンクマスターとなります。この動画ファイルをDVDなどに焼いてプレイヤーで再生する際に、音声として記録されたシンク信号をDisklavierに入力することで、動画と音、そして鍵盤の動きが見事に同期した、エンターテイメント性あふれる自動演奏をするというわけです。
息の合った連弾デュオによる演目は、激しいリベルタンゴ。まるで演奏家が目の前で弾いているかのようなリアルな演奏に、観客のみなさんは引き込まれています。自動演奏ながら、観客の心を掴む演奏とYAMAHAの技術力の高さに圧倒されました。
さて、このMUSIC SPOT YAMAHAブースの中には「音楽のまち 浜松」と題した年表が展示されています。なぜ浜松市が日本の楽器産業の中心となったのか。この年表を見るとそれがよく分かる仕組みになっています。
ちなみに、浜松を日本有数の楽器の街にした立役者はYAMAHAの創始者 山葉寅楠(やまは とらくす)です。明治20年、元々医療器具の修理を生業にしていた山葉寅楠が、偶然持ち込まれたオルガンの修理という難題に成功したところから全てが始まりました。
その後、国産初のオルガンの製造に成功し、明治22年 山葉風琴製造所を設立。その場所に浜松が選ばれたのは、立地的に優れた木材と熟練の職人を調達しやすかったからだと言われています。また幾度となく窮地に立たされた山葉風琴製造所を支えた社員の中には当時まだ11歳だった河合小市がいました。彼はその後、YAMAHAと双璧を成す日本を代表するピアノメーカーKAWAIの創始者となり「日本の楽器王」の異名をとることになります。山葉風琴製造所は時代と共に進化を経て、みなさんご存知のYAMAHAへとつながります。
その後2005年にRolandが本社を浜松市に移転したことで、浜松市はYAMAHA、KAWAI、Rolandという日本3大楽器メーカーがしのぎを削りながら日本の楽器産業を支える最重要都市となりました。山葉寅楠というゴッドファーザーの存在が今の日本の楽器シーンの源流を作ってくれたんですね。感慨深いです。
ここNEOPASA 浜松 上りでは、MUSIC SPOT YAMAHAブースのコンサートで心を癒され、さらに浜松市と日本の楽器産業の歴史に触れることもできました。今回のNEOPASA浜松上り&下りのリポートを通して、また楽器や音楽のことが好きになった気がします。みなさんも新東名高速道路を走る際はぜひNEOPASA 浜松に立ち寄ってみてください。これまでに無い発見や気づきを得ることができるかもしれませんよ。
今回のリポートはこれにて完了!お土産も買ったことですし、きれいな夕焼けを見ながら東京へ帰ることにしましょう!
記事内に掲載されている価格は 2012年6月28日 時点での価格となります。
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