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第一線で活躍するクリエーターのインタビューやコラムなど、音楽と真摯に向き合う作り手の姿があなたの創作意欲を刺激します!

07
Jul.2016
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People of Sound 第27回 コトリンゴさん登場!

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音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。

第27回目は、アーティスト コトリンゴさんです。抜群のピアノ演奏力、オリジナリティある楽曲、優しさ溢れる歌声でコトリンゴワールドと呼べる独自の世界観で2006年のデビュー以降、活躍されています。坂本龍一氏のラジオ番組へ送ったデモがきっかけでデビューされたということで、そのあたりのお話もお伺いしました。日々、デビューを目指し、作品作りに励んでいるクリエーターのみなさんにとっても、面白いインタビューになっています!

2013年1月18日取材

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音楽に触れられた頃のお話をお伺いできますか?

父がジャズが大好きで、家にマイルス・デイビスをはじめとする定番を一通り押さえたレコードコレクションがあって、父が出勤前などよくかけていて、私も自然と耳にしていました。一方、母は宝塚が大好きで、母が宝塚のレコードを聞く時は、母の隣で一緒に聞いていました。母の目論みは、私と姉を宝塚に入れる事だったようで、バレーを習わされました。パンフレットを見ながら「私はこのドレスがいい。」みたいなことを言い合ったりしてました。

ご両親とも音楽好きだったのですね。ピアノはいつから始められたのですか?

周りの子たちが習い始めた影響もあって、私も「ネコふんじゃった」や「スプーンおばさん」をどうしても弾きたくて、ピアノをやりたいと親にお願いしたのが、幼稚園年長、5歳くらいの時です。

真面目に練習する子供でしたか?

あまり練習しない子供でした。ヤマハのピアノ教室に通うことになったのですが、個人レッスンよりもグループレッスンでみんなとアンサンブル演奏するのが楽しくて好きでした。

どんな音楽を聞いてたんですか?

エアロスミスが好きでしたよ。ポップだし、PVに俳優のエドワード・ファーロングが出てたりして。

へー、以外ですね(笑)。

後々、バークリー音楽大学に行くことになるんですが、卒業式の講演にスティーブン・タイラーが来たんですよ。同時にジャズシンガーのダイアン・リーヴスも来て、2人で卒業証書を各々の学生に渡してくれたんですが、私はラッキーな事にスティーブンの列に並べたんです。その時初めて「バークリー行ってよかった。」と思いました(笑)。

スティーブン・タイラーと会話しました?

“ I LOVE YOU!! ” って言いました(笑)。

ハ、ハ、ハ(笑)。

そしたら頬にキスしてくれました(笑)。入学時にはデヴィッド・ボウイが来た事もあって、その当時、あまり興味がなかったのでスルーでしたが(笑)。

バンドはやったりしなかったんですか?

やりませんでした。中学校はバレーボール部、高校はテニス部でした。中学校は合唱の強豪校だったんですが、男の子の合唱部独特の歌い方が苦手で(笑)。

曲を書くきっかけは?

ヤマハの教室で、4小節程度のモチーフを書いてそれを発展させて行く、みたいな授業があったんですが、私が「いいのが出来たかも!」と思って先生の所に持って行くと、「こんなのありきたりね。」と怒られることがあって苦手でした。後々、バークリーの授業でも、ボサノバの曲を打ち込んで先生に提出したら、「君は本当にちゃんと考えて作ったのか?」みたいなことを言われて。以降、自分の中で「すんなり出来てしまう曲はだめなんだ。」と考えるようになってしまいました。その先生は飛び回るような、すっとんきょうなメロディが好きな先生だったので、少し悪知恵を働かせて、この先生にはこういう曲を、あの先生にはああいう曲を、と作り分けて出すこともしてました。

このコーナー初めての女性登場、ということで、今までにない穏やかな雰囲気でスタートした今回のインタビュー。バークリー出身という経歴と、今のコトリンゴさんの音楽スタイルとの橋渡しになるような話が幼い頃のエピソードに隠されてるのでは?と思い、話を伺っていましたが、ここまでは普通の女の子といったイメージのようです。引き続きお話をお伺いしましょう。徐々に、やはり普通じゃない彼女のセンスが垣間みれるお話が聞けることになります。


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バークリーへの留学はいつ頃から考えてたんですか?

中学の頃から雑誌を個人輸入するくらい、アメリカの文化が好きだったので、アメリカの高校に行きたいと思ってたんです。その時は叶いませんでしたが、並行して「音楽をやりたい。」という気持ちも持ってました。ジャズピアニアストの大西順子さんや小曽根真さんのことを通してバークリーの存在を知り、「そういう道もあるんだ。ジャズを勉強したいな。」と思うようになりました。
高校の頃から、いわゆる渋谷系の音楽も好きになって、フリッパーズギターやカヒミカリィなども聞いてました。小沢健二さんのバックで演奏されていた東京スカパラダイスオーケストラの沖祐市さんを見て、「かっこいいな。こういうことやってみたいな。」という憧れは持ってました。

バークリーへは高校卒業後、ということですか?

いいえ。高校卒業後、バークリーに行きたいと思ってましたが、周りから「日本の学校に行ってからでも遅くないから。」とアドバイスされ、奨学金試験に通ることを目標に考え、バークリーが提携しているいくつかの日本の学校の中の1つである甲陽音楽学院に行くことにしました。

その時、音楽の道へ進む将来の自分像みたいなものはありました?

なんとなくあったんですけど、私は自己完結型なタイプで、「曲を弾けるようになれば楽しいので練習する。」といった動機の方が大きかったと思います。そんな部分が、自然と、一人で作る今のスタイルに繋がってると思います。もちろん、他の仲間と一緒に作ったり、演奏することも楽しいんですが。私は人をびっくりさせるのが好きなんですよ!

それはどういうことですか?

地道な姿を人に見せないように一人でこっそり作って、出来上がったら「こんなの出来たよ。」って完成だけを人に見せるのが好きなんです(笑)。自分が人見知りということもあるかもしれません。昔から、家でピアノを練習してる時に来客が部屋に入って来たら、「私、ピアノなんてよく分かりません。」見たいな顔をしてみたり(笑)。バークリーでも、打ち込みの授業で先生の話を聞いてない振りをしてたくせに、後で完璧な打ち込みを作って先生をびっくりさせる、みたいなこともしてました。

なんですか、それは?(笑)。先生からしたら意味が分からないですね。生徒は学びに来てる訳だから。今でもそうなんですか?

そうですね。途中経過を人に聞かせたくないんです。自分が苦労してる姿を見せたくなくて、ずっとあまえていたいという気持ちがどこかにあるのかな?

うーん、複雑ですね。よくわかりません(笑)。制作の途中で迷うことがあって、人にアドバイスを求めることはないんですか?

なんとなく相談はしますが、でも最終的に決めるのは自分じゃないですか。相談して、アイデアの根元からばっさり断じられることもあるじゃないですか。私はそこまで強くないので、できるだけ作り込んでから聞かせる、といった場合が多いです。CM音楽のお仕事を頂いた時、「こういう感じで。」という前提があるんですけど、作ってるうちに自分だけで盛り上がっちゃうこともあって、最初の方向から脱線してしまい、でも脱線しながらも自分で「これはすごい!!」と思って提出するんですが、先方から「違います。。。」と言われることもあったりしました。

そうですね。商用音楽では依頼側の要望が第一ですからね。

はい、気を付けます(笑)。

穏やかな口調で話される「人をびっくりさせるのが好き。」という言葉の意味する所を理解するまで少し時間がかかりましたが、「びっくりさせられた人の顔を見ながら、コトリンゴさんは何を思っているのだろう?」みたいなことも考えてみました(笑)。一筋縄で行かない存在であるのは間違いなさそうです。


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甲陽音楽学院の2年間で得たものは何でしたか?

ジャズの基礎になるコードのボイシングやインプロビゼーションの心構えが身に付きました。あと、コピーを沢山やりました。甲陽の時は音楽理論の授業はそんなに理解出来なくて、すごく理論を解ってる他の男の子たちが授業では前の席に座っていたんですが、私は後ろの方でただ聞いていた、という感じでした。でも、甲陽からの推薦枠に入る事ができたので、バークリーの奨学試験は受けなくて進学できることになったんです。

英語も必要ですよね?

英語は得意ではなかったんですが、バークリー入学後、英語を第二言語とする人のためのESLのセミナーが夏にあって、そこで一定の成績を取れば次の秋の授業から参加できる、ということだったので勉強しました。

海外での生活に不安はありませんでしたか?

多少の不安はありましたが、甲陽から一緒に行った人がいたので、わりと楽しんで生活してました。専攻はデュアルメジャーといって2つ選ぶんですが、ジャズ作曲・編曲と演奏科を選びました。

学校は厳しかったですよね?

そうですね。奨学金を受けている学生は一定の成績を取らないと奨学金が貰えなくなるんです。私は一般大学に行ってなかったので、歴史などの一般教養の単位も取ろうと授業を受けたのですが、その単位が一番危なかったです。単位が足りない時は、他の一般大学で授業を受けて、その単位をトランスファーするシステムもありました。

行ってよかったな、と思うのはどんなことですか?

音楽の色んなスタイルに触れる機会があったことです。ジャズを勉強したくて行った訳ですが、クラシックピアノの先生のことが好きになったり、アルバイトで歌科の授業の伴奏をした際に、楽譜を初見で弾く勉強になったりと、色々経験できました。

今の自分の作品への影響はありますか?

あります。ベースにジャズがあるので、コードの積み方もそうだし、カウンターポイント的な旋律や、ポップミュージックにしてはすんなり行かない進行、という作り方があったり。それは大きいですね。


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穏やかな雰囲気のCentral Park

– Rock oN Show Report より-

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St James 島からNew Yorkを望む

-Rock oN Show Report より-

バークリー卒業後ですが、日本に帰ってこられたんですか?

いいえ、ニューヨークに移って4年間住みました。ピアノ教室で先生のバイトをしたりしてました。ビザは貰えたんですが、それまでの学生という身分と違って外国人労働者という立場になるので、たまに嫌な事もありましたが、基本、楽しく生活してました。

周りの同級生は、若いし野心旺盛だから、どんどん自分を売り込んで行く人ばかりだったと推測するのですが、コトリンゴさんはそれと真逆のイメージがありますね(笑)。

「人をびっくりさせたい。」という気持ちは常にあったのですが(笑)。「これだ。」とやりたいことが決まればスイッチが入って動くんですが、その当時は自分の中に迷いがあった時期で、自分がジャズのCDを作ってジャケット写真でニコッと微笑む、みたいな事が将来像としてイメージ出来なかったんです。
卒業祝いに父がPoweBook G4を買ってくれたんですが、ガレージバンドを使って、今に繋がるような音楽を作り始めました。オーディオ・インターフェースは持ってなかったので、Rec待機状態にしたMDレコーダーをPowerBookの入力端子に繋いで、そこにキーボードやマイクを繋げて録音してました。

その頃、自分で歌われてました?

いいえ。同じ趣味の人が見つかれば歌ってもらおうかなと思いながら曲を作ってたんですが、ジャズをやってる仲間にジャズでない音楽を聞かせるのが少し恥ずかしかったということもあって、誰にも言わず、こっそりやってました。そういうことで誰にも頼めなかったので、自分で少しずつ歌うようになりました。その頃、ジャズをやってた人達の中にエレクトロニカという切り口で音楽を作ったり、ライブハウスで演奏すような人が出て来たので、そういう人達との出会いが、ジャズの世界とポップスの世界を繋げてくれる感じで、自分にとって救いになった時期でもありました。

デビューのきっかけになった曲はニューヨークに住んでる時に作ったのですか?

はい。ニューヨーク郊外のピアノ教室に先生のバイトをしに、電車で30分くらいかけて通ってましたが、その通勤電車の中が、曲や歌詞を考える時間だったんです。そこで思いついたアイデアを、夜、家に帰ってからコンピューターで打ち込む、みたいなことを繰り返していました。ファーストアルバムに入ってる曲のほとんどが、その時のものです。その時期に、曲を作ることで、それまでになかった楽しさを見つけることが出来て夢中になりました。何が良くて何が悪いかをジャッジするのも自分だし、先生に「これはジャズじゃない。」と言われることもないし、開放された感じがしました。曲がたまってきたら「人に聞いて欲しいな。」と思うようになり、坂本さんの番組に曲を送ったんです。


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選ばれた時のお話をお聞かせ下さい。

ディレクターさんから、私の曲をラジオで流して下さるという連絡を頂いて、「丁度その放送回はニューヨークで収録するからお話しませんか?」という話でした。最初の頃はディレクターさん経由で「教授もいいと言ってますよ。」と連絡を頂いてたんですが、母に話すと「それ、だまされてるんじゃない?」みたいなことを言うんですよ(笑)。確かに、私も坂本さんに会った訳じゃないし、連絡を下さるのはいつもディレクターさんだし(笑)。しばらくしたら、SNSで突然、送ったデモの感想が来たんですよ。その送信元の名前が”坂本”さんだったのですが、あの坂本さんだとは気付かすに、なぜか高校の時の生活指導の先生が坂本先生だったと思い出し、すっかり勘違いして「わぁ、怖い。なんで、坂本先生が私に!?」と思って(笑)。しばらく経って、坂本龍一さんご本人だと判かったんですが(笑)。

坂本龍一さんと初めて会ったのは?

その後、「オフィスに遊びに来なさい。」という連絡を頂いたんですが、「遊びに来なさい、と言われても。。。」となるじゃないですか。でも遊びに行ったんです(笑)。そこで坂本さんがプロデュースされていた「ロハスクラシック・コンサートというイベントがあるので出ませんか?」とお誘いを頂きました。

それまでのライブ出演は?

セッションなどのライブ経験はありましたが、ステージで歌ったことはありませんでした。坂本さんは「ピアノだけでもいいし、何でもいいよ。」と言って下さったんですが、私はこれからやりたい事が自分の中にしっかりあったので、「コトリンゴ」として出演しました。場所は王子ホールでした。

デビューがホール。すごいですね(笑)。CDリリースの話は?

「commmonsというレーベルを作るので、それに合わせてCDを出しませんか?」というお話を頂きました。ロハスクラシック・コンサートに月桂冠のCMの監督さんがいらしてたんですが、、CM の為に曲を作らせていただく話になり、シングルとしてリリースしました。坂本さんにプロデュースして頂いたんですが、私が作った打ち込みデータをブラッシュアップしてくれたり、音色を変えたり、歌をスタジオで歌い直して差し替えたり。トラックダウンのエンジニアはフェルナンド・アポンテさんなんですが、一緒にニューヨークでたいやきを食べながらやりました。彼はあんこが好きなんです(笑)。

これを読んでる多くのクリエーターが憧れるようなデビューストーリーだと思いますがいかがでしょう? ここで思うのは、コトリンゴさんが、学んできたジャズに捕われることなく、自分だけの音楽を、迷いの時期を通して見つけられたということでしょう。それにしても、ニューヨークで曲を作って、ニューヨークで坂本龍一氏と出会う、というストーリーはとてもかっこいい訳ですが!!


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制作スタイルについてお聞かせ下さい。

基本、自宅で作ったものをべースにして、生録などで差し替えていく、といった感じです。ファーストアルバム制作時にMbox2を買いました。DAWはProTools LEです。パソコンは2003年から2012年の始め頃まで、父に買ってもらったPowerBookをずっと使ってました。私は「おじいさんパソコン」と呼んでました。クリックしてもずーっと考え中だったので(笑)。次第に機材への興味も大きくなってきたんですが、まずはその「おじいさんパソコン」の買い替えかな、と思って去年、新しくiMacを買いました。同時に、坂本さんと一緒にサウンドトラック「新しい靴を買わなくちゃ」の仕事があったので、ラップトップの必要性もあってMacBook Proも買いました。ソフト音源もいくつか買い揃えました。オーケストラ音源はEAST WEST QUANTUM LEAP Symphonic Orchestraを買って張り切ってたんですが、坂本さんは「VIENNAがいいよ。」と言ってました(笑)。Sample Modeling Brass Bundleは、使っててすごく楽しくて、新作アルバム「ツバメ・ノヴェレッテ」でも使ってます。今、気になってるのはベース音源のSpectrasonics TRILIANです。譜面はSibeliusを使ってます。

機材を新しくしたことで、制作スタイルに変化はありましたか?

ソフト音源の音がいいと、自分でアレンジをシミュレーション出来るので、作業効率が良くなりました。

マイクが欲しいですね。今は、ライブで使ってるゼンハイザーのコンデンサーマイクを自宅のデモ録音でも使ってるんですが、自分の家でも本番テイクを録れるようにできたらいいですね。

スタジオワークは好きですか?

はい。作業の隙を見てエンジアさんにPro Toolsのことで気になってることを質問したり、機材のことをあれこれ聞いてみたりするようになりました。昨年7月にEarthworksのマイクを使ったハイ・ディフィニション・マイキングセミナーでは、マイキングの楽しさを知り、マイクの種類やマイキングについても、とても興味があります。昨年の坂本さんとのサントラの仕事の時、坂本さんが作業されるのを近くで見てたのですが、データの処理の仕方だったり、オーケストレーションのことだったり、使われてるリバーブの種類だったり、とても勉強になりました。自分でも色んなことが出来るようになる、ということに憧れています。

今後の活動の目標はありますか?

今年2013年の目標は、制作環境作りでもあるんですが、それを通して、もっと色んな楽器のことを知りたいです。昨年のサントラの仕事以降、オーケストレーションにも興味を持つようになったので、オーケストラを使ってる楽曲の細部にも耳が行くようになり、色んな発見があります。自分の音楽のベースになるものは変わらないと思いますが、もっと音色を豊かにして、音楽性の幅を広げていきたいです。リリースしたばかりのアルバム「ツバメ・ノヴェレッテ」のM-1 “Preamble”には、サントラの経験を反映することができ、今までと違った音の使い方が出来たと思います。また、クラムボンのミトさんがプロデュースされた木村カエラさんの“Sun shower”という曲で、ピアノ演奏のお仕事を頂いたんですが、自分にない要素を持った曲を弾くことができ勉強になりました。そういうことも、もっとやって行きたいです。

最後の質問です。ご自身にとって音楽とは何でしょう?

「ごはん」ですね。自分にとってなくてはならないもの、という意味でもあるし、聞くことに加えて、自分で「ごはん=音楽」を作ることによって、それが心の栄養になり、生きて行く糧になりますから。

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お話の中に出て来た「ジャズ」、「渋谷系ポップス」、「バークリー留学」、そして「ニューヨーク」というキーワード。これらの要素がコトリンゴさんの音楽を形作るのに影響を与えて来たと考えると、とてもユニークです。しかし、「人をびっくりさせたい。」という気持ちを心の奥底に持ちながら創作されている、という人柄が、それに増してユニークでしたが(笑)。「制作機材への興味がますます大きくなっている。」とのことですので、制作環境の方面からも「リスナーをびっくりさせる」サウンドが生まれて来るのではないかと思い、とても楽しみです。

コトリンゴ

Artist

1978年生まれ。5歳よりピアノを始め、7歳で初めての作曲をする。

1999年、神戸の甲陽音楽院を卒業後、ボストンのバークリー音楽院に留学。ジャズ作・編曲/ピアノパフォーマンス科専攻。在学中には教会でのクワイヤのレギュラーピアニストや、バークリーのヴォイス科のピアノ伴奏の仕事も務めながら、数々の賞を受賞。学位を取得後NYへ移り、様々なギグに参加。 2005年秋より自宅での曲作り/デモテープ作りを始める。

2006年3月、坂本龍一がナビゲーターを務めるJ-WAVE「RADIO SAKAMOTO」のオーディションコーナーにて、のちに2ndシングルとなる『にちよ待ち』がオンエアされ、 坂本龍一プロデュース「ロハスクラシックコンサート」にも出演。

オフィシャルサイト>>


ツバメ・ノヴェレッテ

コトリンゴ
¥ 3,150 [tax in]

2013.01.16

RZCM-59222


「ツバメ・ノヴェレッテ」のリリースにあわせて作った「白いツバメグッズ」の中の1つのピンバッジ。アートワークを担当されたmimoeさん(絵と切り絵)、宮川洋平さん(デザイナー)によるもの。インタビュー当日も、胸に付けていらっしゃいました!!

コトリンゴさんのご自宅制作環境。インタビュー中にあるように、昨年、コンピューターをiMacに新しくし、作業効率が大幅にアップされたとのこと。同時に、坂本龍一氏と共にニューヨークでサウンドトラック「新しい靴を買わなくちゃ」の制作があったため、MacBook Proも購入。鍵盤はピアノ奏者ならでは鍵盤タッチに優れたYAMAHA S90ES。モニタースピーカーはTANNOY Reveal 5A、ボーカルのデモ録音用にSENNHEISERのコンデンサーマイクがセッティングされている。

オーディオインターフェースはMetric Halo ULN-2、DAWはPro Toolsを使用。EAST WEST QUANTUM LEAP Symphonic Orchestra、Sample Modeling Brass Bundleを始めとするソフトシンセも多く使われていて、「ツバメ・ノヴェレッテ」の制作において、ソフトシンセのサウンドからインスパイアされることもあったとのこと。


2012年7月27日にハートビート・レコーディング・スタジオにて開催されたハイ・ディフィニション・マイキングセミナーからの風景。

この日のセッションではコトリンゴさんの弾くスタインウェイにEarthworks PM40とアンビエンス用にQTC40を、ボーカルにSR40Vを使い収録。この日のセッションで、マイクの種類やマイキングによる音の違いに、さらに注意を払うようになったとのこと。「今後、自宅スタジオ用にも本格的なマイクを導入して、自宅で本番テイクを録ってみたい。」とのことです。

会場には常設機材の他にマイクプリアンプ:Sym・Proceed SP-MP4を持ち込み、公開録音も行った。

記事内に掲載されている価格は 2016年7月7日 時点での価格となります。

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