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第一線で活躍するクリエーターのインタビューやコラムなど、音楽と真摯に向き合う作り手の姿があなたの創作意欲を刺激します!

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Nov.2016
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People of Sound 第37回 ピーター・バラガンさん登場!

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本誌を発行するMiM (Media Integration Media) はその名前に、ダブルミーニングとして”Music Is Magic”を持たせ「音楽のマジックを広げよう!」という理念を活動ポリシーの1つとしています。しかし現在、かつて音楽が担っていたポジションは、SNS、YouTube、オンラインゲーム等々に置き換えられ、分散し、音楽が持っていたマジックが薄れてしまったような気も。。。そこで今回、過去から現在に渡り、それぞれの時代の音楽に深く接し、音楽が持っているマジックを肌で体験されてきたピーター・バラカンさんにお話しを伺ってみました!

2016年9月26日取材



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まず、ピーターさんが体験されてきたエピソードをお伺いしながら、音楽が持つ力についてお話しできればなと思います。よろしくお願いします!

はい、よろしくお願いします。

先日、ビートルズの映画「EIGHT DAYS A WEEK」が公開され、私も観てきました。パワー溢れる演奏シーン満載で、音楽の力を実感した作品でした。ピーターさんはビートルズが活動していた時期をリアルタイムで体験されていますよね?

ビートルズがデビューした1962年、僕は11歳ですね。もちろん衝撃でした。でも、どう表現したらいいか、良い言葉が見つからない(笑)。

「ビートルズの登場は若い世代の価値観を一変させた。」みたいな描写や記述がたくさんあるじゃないですか。実体験としてどうだったんでしょう?

後になって、その時代を振り返ればそういうことだったんですが、リアルタイムで「自分の価値観が変わった!」みたいなことは思ってなかったです。それにまだ子供でしたし。大人になって振り返ってみてそう感じた、というのが実状だと思います。イギリスでは11歳の時点で、日本で言えば小学校から中学校へと変わり、環境や生活が変わるタイミングなんです。新しい学校に通い始めたのが1962年の秋。その1〜2ヶ月後にビートルズがレコードデビューします。最初のシングル”Love Me Do”はリアル・タイムでは耳にしていないかもしれませんが、63年初めに”Please Please Me”が出ると、イギリス中が騒然となるんです。ほとんどの音楽メディアを、あっという間にビートルズが独占するようになりました。

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ビートルズがデビューする前のシーンはどうだったんですか? いわゆる「ロックグループ」はいましたか?

いなかったんですよ。その頃はみんなソロ歌手として活動してました。ビートルズのように4人クループで、そのうち3人がハーモニーを歌う、というスタイルは”Rock’n Roll”の世界では初めてだったんじゃないかな。それと”Rock”という言い方は、62〜3年頃はまだなかったですね。”Rock’n Roll”というのがありましたけど、それは50年代の音楽で既に下火になってました。ビートルズは50年代の”Rock’n Roll”を聞いて育ち、そのスピリットを強く持ってました。加えてリズムアンドブルーズ。まあ、あまりブルーズという感じのグループじゃないけど、そのスピリットを強く持ってたのが大きかったと思います。

ピーターさんは子供ながらに、ビートルズの4人はそれ以前のソロ歌手達とは違うなという意識は持ってましたか?

はい、明らかにそうですね! まだ子供だったから、せいぜい何を知ってるか、という話ですが(笑)。でも、小学生の時からラジオで色んな音楽を聞いてたので、「違うな!」という意識はすごく持ってましたよ。今回の「EIGHT DAYS A WEEK」の中で、エルヴィス・コステロがコメントしてるけど、自分たちの演奏が全く聞こえない中で、演奏が合ってるし音程も狂わないって奇跡的ですよ!

リンゴ・スターはポール・マッカートニーの体の動きを後ろから見てタイミングを合わせ、ドラムを叩いてたというエピソードが出てきましたね!

そう! それに、演奏が聞こえないのは客席も同じ。当時のPAは、今のコンサート会場にあるようなものとは全く違ったものだったんです。野球場に設置してるPAな訳だから、あくまでアナウンスの拡声用で音質は劣悪。僕がビートルズを生で見た1964年1月2日のロンドンのコンサートでは、まだ100ワットのアンプはなかったのでVOX AC30でやってるはずですよ。小さい会場の場合は、ヴォーカルもギターと一緒にそのアンプから出るんだからね! その時の会場は映画館だったので、映画用の出力システムで出していたかもしれませんが。まあ、それにしてもねぇ。。。(笑)

ビートルズのライブに行くことを、親御さんはOKしてくれたんですか?

うん、「絶対見たい!」と思ったんです。母親と弟と3人で行きました。母親は音楽が好きで、割と若い感覚を持ってたんですよ。

ロックコンサートのような場所は不良が行くところ、みたいな感覚はなかったんですか?

それは全くなかったです(笑)。60年代初頭のイギリスは、もちろん保守的な部分はありましたけど、音楽だけじゃなくて各分野で新しい表現が次々と、保守的なものを壊していくような時代だったことは確かですね。日本で、例えばキャロルみたいな、ああいう不良っぽいイメージの歌手はいなかった、というか、いたとしてもテレビには出て来ないな。音楽に接する媒体はほとんどラジオでした。ラジオだと、どういう格好してるか分かんないしね(笑)。

ティーンエイジャーになり音楽にのめり込むことで、価値観の変化みたいなものは経験しましたか? 例えば、ロックにつきものの反体制的な考え方とか。

反体制的な考え方はもっと早くからあったんですよ。12〜13才の頃から、イギリスでは核兵器反対運動が盛んだったんです。「今から25年前」という第二次世界大戦を振り返る番組で、戦争の悲惨さを伝える番組を毎週やってて、多分、みんな見てた。子供だったので、世の中で起きてることについて詳しいことは分からなかったけど、そういう考え方というか、正義感みたいな意識は持ってました。ボブ・ディランを始め、そういう思想を題材にしたようなタイプの音楽を聞いてたし、途中からブルーズやソウルミュージックなどの黒人音楽が好きになり、人種差別という問題に接することになる。そういう意識を自然と音楽から学んでました。ベトナム戦争の時期、反戦運動も盛んだった。青臭い部分はあったかもしれないけど、「ラヴ・アンド・ピース」的なものは、僕は今も持ってますから(笑)。



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お生まれも育ちもロンドンですよね? 60年代の音楽シーンの変化を至近距離で体験されてるわけで、例えばマーキークラブにピンクフロイドが出てたりとか、、、

そうですね。週末になるとカーナビー・ストリートに出かけて、お店を物色したりもしてたし。マーキー・クラブに初めて行ったのは1967年1月のジミ・ヘンドリックス。15才でした。

それはすごい! 15才の青年にとってジミ・ヘンドリックスはどうでした?

そりゃもう、むちゃくちゃ衝撃でしたよ! キャパシティの倍以上の客が入ったんです。前の人の肩に乗っかってるような感じで、全く身動きがとれなかった。1月のロンドンはかなり寒いのでみんな厚着して来るんですが、会場内はサウナ状態。みんな大汗かいてました。ああいう体験は今までに1度しかなかったです。ジミ・ヘンドリックスはまだシングル1枚を出したばかりの頃で、前年の12月下旬にテレビに出て”Hey Joe”を演奏したんですが、それでみんなノックアウトされ、話題になってたんです。

そういう伝説的な現場を体験されてることはとてもうらやましいです!

先日、ジミ・ヘンドリックスがモンタレー・フェスに行くまでを描いた伝記映画「JIMI:栄光への軌跡」がありましたよね。あの最初と最後のシーンに出てくる1967年6月4日サヴィル・シアターでのライヴに僕、居たんですよ! もちろん映画だと分かっちゃいるけど、冒頭であのシーンが出てきた時、「うわ、客席に僕が居る!」って思っちゃって(笑)、もうドキドキしちゃったんですよ!

僕も映画を見ましたが、あの演奏シーンは当時の雰囲気そっくりなんですか?

うん、かなり近い! 当時のロンドンの感じが濃厚に出てますよ。

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先日、ハンク・ウィリアムズの伝記映画「アイ・ソー・ザ・ライト」を見ましたが、当時のファッションなど歴史考証、再現度のレベルはどうなんでしょう? 僕は、当時のレコーディングスタジオやマイクなど、機材にも目が行ってしまうんですが。

その辺はすごく忠実にやってると思います。あの手の映画で何が一番面白いって、僕はそういう部分だと思います。あの映画で描かれる1940〜50年代、僕はまだ生まれてないですから、映画で見て「あ〜、こうだったんだ。」と思うことがあり、すごく面白いですよね。あと、印象に残ってるライヴはピーター・グリーンが在籍してた時のフリートウッド・マックや、フルートを吹くイアン・アンダスンが本当にかっこよかったジェスロ・タル。あの頃、ブルーズがイギリスですごく流行っていて、色んなタイプのブルーズ・バンドが登場したんです。

イギリスでブルーズがブームになったというのは、音楽好きな人達の間で流行ったんですか?

一番大きなきっかけになったのは、エリック・クラプトンでしょうね。

僕の世代だと、ブルーズのいい時代はすっと過去のイメージがあって、古い音源を振り返って聞く印象が強いんですが、1967〜1969年のイギリスの若者にとって、ブルーズはリアルタイムな存在だったんですか?

そうですね。シカゴ・ブルーズの黄金時代は1950年代だけど、古臭いという捉え方はなかったです。ブルーズの何がすごいかって、歌う迫力やギター・ソロ。例えばB.Bキングやオーティス・ラッシュ、フレディ・キングなんか、たった1音でもその存在感で誰が弾いてるかわかる。そういう経験は生まれて初めてでした。みんなブルーズの何に反応するかというと、そこだと思います。

当時のイギリスの白人バンドがブルーズに傾倒することは、クールなことだったんですか?

そうだったのかもしれないです。ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、アニマルズにしても、みんなベースにあったのはシカゴ・ブルーズだしね。

当時を振る返ると、60年代に音楽が持っていたパワーと2016年の現在とでは、そのあり方が変わったと思われますか?

う〜ん、昔の人達も「時代を変えよう」という意識で音楽をやってた訳じゃなかったのでね。。。でも、ホンモノの音楽が持つ力は人の意識を変えることができるし、多くの人の心を変えれば、それは時代を変えることになる訳ですから。60年代と現在で何が違うかというと、メディアも違うし、当然、昔はインターネットもなかったので音楽にアクセスする方法が大変少なかった。ある意味、編集する立場にある人達が選んだものしかメディアを通して届いてこなかった時代ですよね。今は編集者が介在しなくても色んなウェブサイトがある。またSNS上で、個人がいいと思う音楽の情報が広まることもある。でも色んなものが溢れすぎて、逆に何を聞いていいのか分からないと、多くの人が感じてると思います。そういう時代で自分の心を大きく揺り動かす音楽に出会うのは、ちょっと難しくなったのかもしれませんね。。。

ピーター少年がリアルに体験した音楽のマジックを感じさせるエピソードの数々。ロック好きな人なら憧れる体験ばかりですよね?
さて、ピーター青年は大人になり生活の拠点をロンドンから東京へ。シンコーミュージック社員〜ヨロシタ・ミュージックでのYMOとの関係〜ポッパーズMTV、CBSドキュメントといったテレビでの顔、そして、NHK FM ウイークエンドサンシャインを始めとする数々のラジオ番組のパーソナリティとしてご活躍中の現在。その経緯については、これまで沢山の媒体でお話しされていて、みなさんも読むことが出来ますのであえて省略することにして、、、引き続き、お話は現在から未来へ。音楽のマジックはこれから先どうなっていくのか? そういったテーマを背景にしながら、後半戦へ移ります。


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今って、音楽が、例えば映像やゲームにくっついていたりして、音楽がそれだけで成り立つ機会が少なくなってしまったと思うんですが。

まぁ、数が多すぎて音楽の聞き方がカジュアルになったし、昔の方が一生懸命音楽を聞いていた時代だったと思います。映像はその時に集中して見ようとさせる性質を持ってるけど、逆に音楽は一生懸命聞く人もいれば、聞き流す人もいる訳で、能動的な行動が必要になるのかな。

そうなった状況に対してピーターさんはどう思われますか?

残念だと思いますけど、それが現実ですからね。。。現実は見据えるしかない(笑)。昔から商業的な音楽はたくさんあった訳ですけど、何十年も人の心の中に生き続ける音楽も、少数派ですがあります。今は、そういう音楽の数が60〜70年代に比べると、はるかに少なくなったと思います。

そうなった原因は、聞き手、作り手、どっちにあるんでしょうか?

両方の問題かもしれませんね。70年代だったら、渋い音楽をやってるけども一定の支持を受けていれば、作品を発表できるようなミュージシャンが沢山いたんです。レコード会社も、そういうミュージシャンをちゃんと維持してサポートする心構えを持ってた時代でした。売れ線じゃないけど10〜20万人くらいのファンを持っていれば、ミュージシャンは育つんですよね。でも、その数が今のように数千人くらいしかいないと、ミュージシャンが育つパワーがなかなか育まれないと思います。完全に2極化されてしまってその間がいない。大きなレコード会社は、現在、多国籍企業だし、上場してるじゃないですか。会社は上場すれば何を考えるかというと、投資者への配当金にしか頭が行かないみたいで、アメリカの大きなレコード会社になると、3ヶ月ごとに次の四半期でどれだけ利益を出すことができるか、といったことしか考えない。音楽をやってる会社がそんなことやってたら、いいことないですよ! 今の時代、音楽をやるんなら、そういう会社でやっちゃだめ。それに代わる中堅規模の力を持ったレコード会社がもっとないと、先行きが暗いかな。。。

そういう時代の中で、ピーターさんはキュレーターとしてライブイベント「LIVE MAGIC」をやられてますね。

今年で3回目ですが、1,500人くらいの人が知らないミュージシャンを見に来てすごく盛り上がっている光景を見たら、「俺がやらなきゃいけないのはこれだ!」と思ったんです。チケットを売って、人を集めるのは本当に大変ですが、まだまだやり方に工夫が必要なんでしょうね。課題が多く大変だけど、10年続ければ育つと思ってます。そのしぶとさを維持したいですね!

DJや番組でかける曲を選ぶ過程はどんな感じなんですか? また、アーティストとの関係作りで気をつけていることなどありますか?

特に大したことはなく、その都度紹介したい新譜、取り上げたいリクエスト、世間で起きていることで連想する曲、時節に関連する曲など、色々ありますが、それらを中心にどのように並べるか、どんな話題でつなげるか、といったごくごく初歩的なことだけです。アーティストとの関係作りに関しても、特に何もありません。ゲストとして番組に出た人とか、Live Magicに出た人とか、あるいは来日アーティストで話を聞きたい人、その都度インタヴューしたりはしますが、それ以上の交流をしている人は本当にわずかです。



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今、欧米ではCDが売れなくて配信が中心です。サブスクリプションサービスが圧倒的に強くなっていて、メインストリームの楽曲に関してはそれで落ち着くと思います。サブスクリプションで面白いと思うのは、物を持つ必要がなくなることです。お金がそんなにかからないので、音楽に出会う機会は、富裕層とそれ以外の層に違いがなくみんな平等になる。でも逆に、選択肢が沢山ありすぎて何を選べばいいか分からないという問題がありますが。。。

そういう時に「これはどう?」と提示してくれるような人がいるだけで、いい音楽に出会う確率がぐっとあがるような気がするんですが。

そうかもしれませんね。そういう意味で、僕の音楽におけるミッションとしては、今やってることを続けるしかないと思ってるんですよ。僕が紹介してる音楽って、今も昔もマスに訴えるようなものじゃなく、本当に音楽が好きで好きでしょうがないような人たちに向けていて、その中のさらに一部の人たちが僕の番組を聞いてくれてる感じです。僕の音楽体験はかなりジャンル的に限定的なものだけど、それ以外の人のための番組も勿論必要だし、幅広く色んなタイプの音楽を紹介する媒体が必要です。サブスクリプション・サーヴィスの会社は、これからそういった役目を担う宿命にあると思いますよ。これからラジオ局の代わりになっていくかもしれませんね。

では、最後の質問になりますが、ピーターさんにとって音楽とは何でしょう?

いつも同じ事を言ってるんですよ。音楽は「心の糧」です。単純ですけど(笑)。

そういう存在のものを仕事にするストレスみたいなことはないんですか?

ないですよ! 昔から商業主義的な考えは一切持ってないし、自分が聞く音楽は自分が興味を持っているものだけ。一切、自分が気が向かないことはやらないんです。

ある意味すごいですね〜!

いやいや、そんなことない。限られた時間だし。自分が興味を持てない音楽を紹介しなければならないなら、別の仕事を選んだほうがいいですよ。自分が本当にいいと思ってる音楽を、自分で選曲して、自分の言葉で紹介し、それでギャラをもらってる訳です。

でも、ピーターさんのそういう姿勢って、エゴイスティックに映らないですよね〜(笑)。

それは、僕が自分を売りたいと思ってないからだと思います。そういう野心は僕には全くないんです。自然にそういう姿勢で、ずっとやってきただけのことなんですよ。

2016年の秋、ちょうど日本でもSpotifyがスタートするタイミングでお伺いできたサブスクリプションサービスについて。ラジオ局に代わり、これから音楽紹介媒体の役割はストリーミング配信会社が担っていくというピーターさんのお話。さて、そこで問題になるのは、ストリーミング配信は「音楽のマジック」をリスナーに運んでくれる媒体になるのか? その仕組みを作る側に、音楽に対し強烈に情熱を注ぐピーターさんのような人がいれば大丈夫な気がしますが、果たしてどうなるでしょうか?

ピーター・バラカン (Peter Barakan)

ブロードキャスター

11951年8月20日ロンドン生まれ
1973年、ロンドン大学日本語学科卒業
1974年、来日、シンコー・ミュージック国際部入社、著作権関係の仕事に従事。
1980年、同退社 • このころから執筆活動、ラジオ番組への出演などを開始、また1980年から1986年までイエロー・マジック・オーケストラ、後に個々のメンバーの海外コーディネーションを担当。

1984年、TBS-TV「ザ・ポッパーズMTV」というミュージック・ヴィデオ番組の司会を担当、以降3年半続く。
1988年、10月からTBS-TV で「CBSドキュメント」(アメリカCBS制作番組60 Minutesを主な素材とする、社会問題を扱ったドキュメンタリー番組)の司会を担当。音楽番組以外では初めてのレギュラー番組。
2010年4月からTBS系列のニュース専門チャンネル「ニュースバード」に移籍、番組名も「CBS 60ミニッツ」に変更。 2014年3月終了。

1986年から完全に独立し、放送番組の制作、出演を中心に活動中。

記事内に掲載されている価格は 2016年11月18日 時点での価格となります。

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