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RockoN: 先日はライブに招待頂いて大変ありがとうございました! 今日は色々お話しを聞かせてください。今回、まず私が聞きたかったのは小袋さんのレーベル運営者としての顔なんです。小袋さんは「Tokyo Recordings」を立ち上げられた訳ですが、その経緯をお聞かせいただけませんか?
小袋成彬 氏:大学卒業を前に就職活動したんですが、雑誌の編集者になりたくて色んな会社を受けました。でも、本当にやりたいかっていうとそうでもなくて、、、見えないレールを進むのであれば、出版かなぁ程度の感じでした。でも、就職活動って自己分析や自己PRを散々書かされるじゃないですか。それを経て自分が何者かをよく理解したんですよ。そこから、仕事として音楽をやっていきたいという気持ちが強くなったんです。それは衝動的にそう思ったんじゃなくて、自信があった上での考えで。大学では経営学を学んでたので、自分の知識の真ん中に「音楽ビジネス」が浮かび上がってきた。具体的に何かはわからないけど、何か音楽に関わるビジネスの近くに身を置きたいと思い、じゃあ最初にどうしようと思って、自分の名刺を作らなければいけないと思ったんです。
RockoN: えっ名刺? なんでそこ行くんですか(笑)!?
小袋成彬 氏: 「名刺代わりになる何か」という意味です。それで自分のポートフォリオとして売り込むための素材としてトラックを完成させたんです。そこから仲間がばっと増えてきてきたんですが、世の中のいわゆる「イケテル連中」、それまでは絶対出会えなかった人たちに出会うようになったんです。一番最初のきっかけは、OKAMOTO’Sのオカモトレイジ君なんですけど、彼がいろんな人を連れてきたり、彼と一緒にいると色んな人と繋がり、そこから花開いた感じがあります。その経験はそれまでの人生の中でショックな出来事で、「僕はここにいたい」と思わせるものでした。それ以降、音楽中心の生活に入っていくことになります。せっかく勝負ができる土壌があるなら「今やるしかないでしょ!」という思いを持つようになったんです。それで最初はとあるレーベルからリリースしたんです。でも、音楽ビジネスへの興味を持ってたはずなのにその仕組みを全く理解してなかった。それで、自分でやってみたいという思いが強くなり、レーベル「Tokyo Recordings」を始めたんです。
RockoN: なるほど。自分でレーベルを立ち上げて作品をリリースすることの意義というと、どんなことなんでしょう? 他人に任せることもできる訳じゃないですか?
小袋成彬 氏: まあ、名乗ったもん勝ちみたいな部分もありますよ。大学卒業して2年目にレーベルを株式会社化したんですが、それは周りに本気だと思わせるためなんです。音楽自体に加え、音楽ビジネスにも興味があったので、僕のアティチュードを表明するために法人を作ることが最適な方法だったんです。
RockoN: レーベルの主催者として、楽曲のクオリティコントロールやアーティスト発掘に関しての基準は?
小袋成彬 氏: そこは単に好きか嫌いかですね。一緒にレーベルを始めた仲間として、ソングライター/プロデューサーのYaffleとエンジニアの小森雅仁もいて、彼らは相当な技術とセンスの持ち主だったので何にも心配してなかったです。レーベルでの僕の仕事はクリエイティブにそんなに関わってないんですよ。仕組み作りや営業に専念してました。まあ、コーラスやったりメロディを作ったりってのはやってましたが、レコーディング作業にはほとんど立ち会うことがなかったんです。Yaffleはスタジオ(Aoyama Basement)を持っていて、いつでも音を出せる場所があったので任せていました。もちろん僕も機材に興味があるので、彼らと色々話しますが、例えばアウトボードを買うにしても、アナログ至上主義も良くないと思うし、一方デジタルだけというのも良くないと思います。いろんなことを知った上で判断する必要があり、先入観で決めつけることなく感性を磨くことに主眼を置いてました。
RockoN: Tokyo Recordingsを土台にして、小袋成彬の名前が世の中に浸透していったと思いますが、どういう感じで受け止めていましたか?
小袋成彬 氏: ヒット曲を出してないんですけどね(笑)。若くしてレーベル立ち上げた訳ですが、売り上げだけでは食っていける訳じゃない。でもレーベルを作ったおかげで、いつのまにかTokyo Recordingsという名前が世間的にはプロデューサーチームになってきて名前を知ってもらえるようになったんです。
RockoN: では次は音楽家/クリエーターとしての小袋さんについてお話を伺います。まず、音楽に興味を持った小さい頃のお話からいいですか?
小袋成彬 氏: はい。家族みんなが音楽が好きで、特に父がビートルズをはじめ、ディープ・パープル、ヴァン・ヘイレンといったロックが好きだったので勧められて聞いてみたのが音楽の原体験ですね。9歳頃だと思います。ビートルズのリマスター盤は本当に熱心に聞き込んだんですけど、そういったクラシックなロックに父親を介して出会ってよかったと思います。もし、そういう音楽に出会ってなかったら、今の僕のスタンスは新しい音楽に向いてるので、遡って掘って知識として聞くかもしれないけど、そんなに好きにはなってなかったかもしれません。最初に触れたのが洋楽だったので、その後、洋楽に対して障壁みたいなものが無く、色んな音楽をフラットな感じで聞く姿勢に繋がったと思います。父はギターもやっていて家にアコースティックギターがあったので、見よう見まねでやりはじめました。その頃は「趣味は音楽です」みたいな感じで、何かを表現しようとか全く思わなかったんです。中学~高校時代は野球を熱心にやっていました。坊主頭でしたし(笑)。みんなで学校帰りにカラオケ行ったり、楽しい学生時代だったです。まあ、2度と戻りたくないとは思うけど、、、
RockoN: カラオケに行って「小袋、歌うまいじゃん!」みたいなことはなかったんですか?
小袋成彬 氏: ありましたよ! カラオケでは友達に重宝されました(笑)。声変わりがなかったので、キーは子供の頃からずっと高いまま。あと、野球部で大きな声をずっと出してたので声量もあった(笑)。
RockoN: こう言っちゃなんですが、割と普通な子供時代だったんですね。将来なりたい職業とか、未来を描いてた子供でした?
小袋成彬 氏: なかったですねぇ。野球選手への道は早々に無くなったし。大学卒業して普通に就職するんだろうな、みたいな感じで、正直、何にも考えてなかったです。趣味として音楽が好きだったので、大学時代は新譜を買って聞いていましたが、その時期その時期で音楽の趣味が色々変わりはするんですが、ブラックミュージックはあまり聞いてなくて、ジェームス・ブレイクやジャミロクワイといったブラックミュージックの影響を受けた白人音楽が好きで肌にあってました。クラブに遊びに行くとEDM全盛の時期だったので大体EDMがかかっているんですが、当時はそれがかっこいいと思ってました。今聞くと「うわっ」てなっちゃうんですけどね(笑)。当時は大きなハコはEDM一辺倒だったんですが、クラブシーンは今の方が音楽に多様性があって面白い気がします。
小袋成彬 氏: 音楽を仕事にしたいと思ったのは、僕、めっちゃ遅いんです。さっき、Tokyo Recordings設立の経緯でも話しましたが、大学を卒業する間近の23歳の時なんです。そこから少し時間を戻しますが、19歳の時、なんとなく欲しいなぁと思ってDAW一式を買ってはいました。それも趣味の範囲としてですね。その頃、コピーバンドをやったりしたりしてたんですが、DAWをやってるとバンド仲間内で重宝されたんですよ。仮歌やコーラスをさっとレコーディングしたりアレンジしたり。楽器屋に行って「一式揃えたいけど10万しか持ってない。」と言って勧められて買ったのがAPPLE LogicとオーディオインターフェースのFOCUSRITE Scarlett 2i2、マイクはAUDIO-TECHNICA AT2020でした。ちなみにメジャーデビューアルバム「分離派の夏」はその機材でやり倒しましたよ。
RockoN: 確かに就職直前の時期になって音楽へのスイッチが入るのってとても急ですね。機材を手に入れて何かが変わったんでしょうか?
小袋成彬 氏: 作ることの喜びみたいなことが分かり始めた感じです。当時、バンドをやってはいましたが、DAWを使い始めて表現の幅が広がると自分だけで音楽を作りたいと思うようになったんです。最初はリミックスする感じで「この曲を4つ打ちにしてみよう」とやってみたり、EQをかけて上のシュワシュワしたとこだけサンプリングしてそれにリズムを合わせて組んだり。「クリエイティブが手元にある」みたいな感じがすごく嬉しかったんです。
RockoN: 小袋さんはファルセットボーカルが印象的なんですが、当時からファルセットは使ってたんですか?
小袋成彬 氏: それは環境のせいなんです。実家の部屋で曲作りしてると、どんどん夜遅くなってくるじゃないですか。それで大きな声を出せない。だんだんウィスパーというかベッドルーム寄りな発声になっていったんです。バンドをやってる時はけっこう声張ってたんですけどね。作った曲はSound Cloudにアップしたりしてました。周りから結構評判よかったんです。でもプロになろうという気持ちは、まだ全くなかった。音楽はただの趣味という感じでした。僕は選択肢が沢山あった方がワクワクするんですよね。語弊があるかもしれないけど「メジャーデビューだけを目指して頑張る」という感じじゃなく、色んな世界を見たうえで「僕が今やらなきゃいけないことはこれだ」というものを見つけたい思いがあったんです。デビューという目的を定めて作為的に作品を作る、ということではなく、純粋に自分のものを作りたいという気持ちだったんです。
RockoN: でも、こう言ったらなんですけど、普通の大学生活ですよね(笑)?
小袋成彬 氏: はい、そうなんですよね。クラブ行って昼まで潰れて、みたいなハメを外すこともありましたが。当時の自分を今好きかといったら、そうでもない。街で出会っても絶対仲良くなれなかったタイプでした。なんか「浅い」って感じの男でした。好きな音楽やカルチャーも含めて。
RockoN: でも、それが若さでもありますよ(笑)。
RockoN: そして宇多田ヒカルさんのアルバム「Fantoôme」に参加されますよね。宇多田さんが小袋さんの音源を耳にしたのはどういう経緯だったんですか?
小袋成彬 氏: 厳密にいうと、宇多田さんは僕のことを会うまで全く知らなくて、宇多田さんのディレクターの方が僕の作った音源を耳にしてたんですよ。後で聞いた話ですが、その方が家のベランダでタバコ吸ってたら、「あ、あんな人いたなぁ」ってなって、僕の事を思い出してくれたらしいんです。当時、僕はレーベルの仕事で柴咲コウさんの楽曲のアレンジをやったんですが、その次の仕事は特に決まってなく、南平台のデニーズでYaffleと飯食いながら「柴咲さんみたいな大きな仕事はもう来ないよな、、」みたいなことを話してたら電話かかってきた。それが「宇多田さんのセッション来てくれませんか?」という内容だったんです。「人生、数珠つなぎだなぁ」って思いました。その後、そのディレクターさんとやりとりを続け、「ロンドンでレコーディングしませんか?」と誘われ、宇多田さんのアルバム「Fantoôme」収録の「ともだち with 小袋成彬」に客演参加しました。
RockoN: ロンドンでのレコーディングはどうだったんですか? 日本のスタジオとの違いは?
小袋成彬 氏: めちゃくちゃいい経験でしたよ! サム・スミスやアデルも使ってるRAKというスタジオですね。日本のスタジオと全然違います。その国の風土もありますけど、うまく説明できるかな、、、日本はデッドなスタジオが多く、きっちり理路整然と録音して綺麗に仕上げていくというのが美しいとされているんですけど、そういう価値観は向こうには全くなく、出て来たものを良しとする多様性や偶然を許容する懐の深さがあり、それが僕にはすごくよかったんです。でも、RAKのセッションにおいては、ピアノならピアノが上手く弾ける人が重宝するけど、僕はただ歌の上手い日本人というだけで、現場において何のクリエイティビティも発揮できず重宝されない訳なんです。その空間で自分が必要な存在かと言ったら答えは”NO”。自分の立ち位置を客観的に理解でき、改めて自分の存在というものを認識させられた経験でもありました。
RockoN: それは面白い話だと思います。自分の立ち位置を、外からちゃんと分析しているんですね。
小袋成彬 氏: 僕はただの歌が上手い日本人。それだけ。そんなのレコーディングセッションでいらないじゃないですか。僕に足りないものは何かということが、ほんとによくわかりました。パソコン持てばプロデューサーなんて誰でもできるし、カチカチやってればトラックも作れる時代だし。世界の潮流と比較して、自分のスキルをどこに向かわせるべきなのかが客観的に見えました。
RockoN: 話を戻して、ご自身のメジャーデビューアルバム「分離派の夏」の話を伺います。きっかけになったことがあったんですか?
小袋成彬 氏: その後、NHKのSONGSに出演したんですが、宇多田さんやディレクターさん含め、みんなで話してたら「小袋くん、日本語でアルバム作んないの?」って聞かれ「作りたいと思っているんですよねー」って答えたら、宇多田さんが「じゃあ私がプロデューサーやるとか面白いんじゃない?」と言われて、、
RockoN: それはやったほうがいいですよね!
小袋成彬 氏: そうですね。「果たしてこれは僕の人生にとっていいのかな」みたいなことも色々考えましたが、これをやらないと人生の次のステップに進めないと思い「分離派の夏」に取りかかることにしました。やるからには悔いのないようにやろうと思い、やりたかったことを詰め込んだ作品です。宇多田さんはプロデューサとして、僕の歌詞に対し修辞的な操作として「こういう言葉のほうがもっといいんじゃない?」とか、僕がこっちの曲がいいと思っていても「こっちの曲の方が人に響くんじゃない?」みたいなアドバイスをくれました。それは彼女が20年培ってきた経験から出るアイデアや直感で、結果として正解になるんですよね。
RockoN: 今、例えば若い年代の人たちがレーベルをやりたいと思った時に、アドバイスするならどんなことがありますか?
小袋成彬 氏: 今の時代、DAWを使って曲を作り、TuneCoreを使って配信すればレーベルなんて余裕で出来るんですよ。そうなるとレーベルってほんとにいらない。そこで、こんな時代でもレーベルが存在すべき理由が2つあるんです。一つが「審美眼」。例えばXL Recordingsのタイトルだからという理由で曲を聞く人がたくさんいるんですよ。飛び抜けたクリエイティブな考え方と審美眼を持った人がこれからますます重要視されます。で、もう一つが「まじめかどうか」。
RockoN: まじめ、ですか、、、? まあ、まじめに越したことはないですが、どういう意味ですか?
小袋成彬 氏: CDの売り上げを四半期ごとに各店舗に聞いて、在庫を引き上げたり、アーティストに分配したり、、、そういうのって超めんどくさい作業なんです。でもそれがレーベルの仕事なんですよ。そのうち自動化されるんでしょうけど。この2つが今後のレーベルに問われるもの。プロモーションは期待できないし、それはアーティスト次第。そもそもアーティストがやる気なかったら、プロモーションをいくらやっても意味ないですし。アーティストがやる気あればメジャーだろうがインディーズだろうが関係ない時代です。これからレーベルをやりたい若者がいるとすれば、「自分のセンスを信じなさい」、「真面目でいなさい」この2つです。そして最初は絶対「インデペンデントでやれ」ですね。何も属さず自分だけで行けるところまで行けと思います。日本だけだと思いますが、何か大きなものに所属して大きな力に引っ張り上げてもらう年功序列的思想があって、「僕たちの力で変えられない」という幻想が常に渦巻いているんですよ。アメリカ人なんかまず「レーベル? FxxKかよ!」みたいな意識で自分たちで組織を作って動く強さがある。
RockoN: でも、インデペンデントでありながら継続的に収益モデル作っていくのってすごく大変なことですよね?
小袋成彬 氏: 「若者、頑張れっ!」て感じです。 だって俺、頑張ったし(笑)。
RockoN: ハハハ、、、まあ、そうですよね(笑)。さて、小袋さんの今後の動きは?
小袋成彬 氏: 今年はインプットの時期だと思います。ロンドンで住み始めましたし。色んな地に旅行に行ったり本読んだり。バンドみたいに、次はこれを出して、また次のステップあって、そしてタイアップとって、みたいなことはやらないと思います。僕、今27歳なんですけど、男性の平均寿命の三分の一くらいに来たんですが、やっぱり死ぬ間際が人生の一番のピークでいたいんす。若い時が絶頂期で歳取って「あの時はよかった」なんて人生は嫌です。常に上がり調子でいたいんです。だから、いきなりめちゃくちゃ売れたりするようなことは望んでいません。もちろん、売れたくないという意味ではないんですけどね。
RockoN: では、小袋さんにとって音楽って何でしょう?
小袋成彬 氏: スパイスみたいなもんじゃないですかね。ちょっとふりかけるだけで人生楽しくなるような。自分に刺激を与えてくれるし、スパイスの種類を知ってたら世界は面白くなるし。自分だけのスパイスをいつか作りたいなとも思いますしね。そんな感じじゃないですかね。
記事内に掲載されている価格は 2019年4月30日 時点での価格となります。
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