音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。

第27回目は、アーティスト コトリンゴさんです。抜群のピアノ演奏力、オリジナリティある楽曲、優しさ溢れる歌声でコトリンゴワールドと呼べる独自の世界観で2006年のデビュー以降、活躍されています。坂本龍一氏のラジオ番組へ送ったデモがきっかけでデビューされたということで、そのあたりのお話もお伺いしました。日々、デビューを目指し、作品作りに励んでいるクリエーターのみなさんにとっても、面白いインタビューになっています!

2013年1月18日取材

ジャズ、宝塚、そしてエアロスミス。

Rock oN:音楽に触れられた頃のお話をお伺いできますか?

コトリンゴさん(以下 コトリンゴ):父がジャズが大好きで、家にマイルス・デイビスをはじめとする定番を一通り押さえたレコードコレクションがあって、父が出勤前などよくかけていて、私も自然と耳にしていました。一方、母は宝塚が大好きで、母が宝塚のレコードを聞く時は、母の隣で一緒に聞いていました。母の目論みは、私と姉を宝塚に入れる事だったようで、バレーを習わされました。パンフレットを見ながら「私はこのドレスがいい。」みたいなことを言い合ったりしてました。

Rock oN:ご両親とも音楽好きだったのですね。ピアノはいつから始められたのですか?

コトリンゴ:周りの子たちが習い始めた影響もあって、私も「ネコふんじゃった」や「スプーンおばさん」をどうしても弾きたくて、ピアノをやりたいと親にお願いしたのが、幼稚園年長、5歳くらいの時です。

Rock oN:真面目に練習する子供でしたか?

コトリンゴ:あまり練習しない子供でした。ヤマハのピアノ教室に通うことになったのですが、個人レッスンよりもグループレッスンでみんなとアンサンブル演奏するのが楽しくて好きでした。

Rock oN:どんな音楽を聞いてたんですか?

コトリンゴ:エアロスミスが好きでしたよ。ポップだし、PVに俳優のエドワード・ファーロングが出てたりして。

Rock oN:へー、以外ですね(笑)。

コトリンゴ:後々、バークリー音楽大学に行くことになるんですが、卒業式の講演にスティーブン・タイラーが来たんですよ。同時にジャズシンガーのダイアン・リーヴスも来て、2人で卒業証書を各々の学生に渡してくれたんですが、私はラッキーな事にスティーブンの列に並べたんです。その時初めて「バークリー行ってよかった。」と思いました(笑)。

Rock oN:スティーブン・タイラーと会話しました?

コトリンゴ:“ I LOVE YOU!! ” って言いました(笑)。

Rock oN:ハ、ハ、ハ(笑)。

コトリンゴ:そしたら頬にキスしてくれました(笑)。入学時にはデヴィッド・ボウイが来た事もあって、その当時、あまり興味がなかったのでスルーでしたが(笑)。

Rock oN:バンドはやったりしなかったんですか?

コトリンゴ:やりませんでした。中学校はバレーボール部、高校はテニス部でした。中学校は合唱の強豪校だったんですが、男の子の合唱部独特の歌い方が苦手で(笑)。

Rock oN:曲を書くきっかけは?

コトリンゴ:ヤマハの教室で、4小節程度のモチーフを書いてそれを発展させて行く、みたいな授業があったんですが、私が「いいのが出来たかも!」と思って先生の所に持って行くと、「こんなのありきたりね。」と怒られることがあって苦手でした。後々、バークリーの授業でも、ボサノバの曲を打ち込んで先生に提出したら、「君は本当にちゃんと考えて作ったのか?」みたいなことを言われて。以降、自分の中で「すんなり出来てしまう曲はだめなんだ。」と考えるようになってしまいました。その先生は飛び回るような、すっとんきょうなメロディが好きな先生だったので、少し悪知恵を働かせて、この先生にはこういう曲を、あの先生にはああいう曲を、と作り分けて出すこともしてました。

このコーナー初めての女性登場、ということで、今までにない穏やかな雰囲気でスタートした今回のインタビュー。バークリー出身という経歴と、今のコトリンゴさんの音楽スタイルとの橋渡しになるような話が幼い頃のエピソードに隠されてるのでは?と思い、話を伺っていましたが、ここまでは普通の女の子といったイメージのようです。引き続きお話をお伺いしましょう。徐々に、やはり普通じゃない彼女のセンスが垣間みれるお話が聞けることになります。

曰く「人をびっくりさせることが好きなんです。」とは??

Rock oN:バークリーへの留学はいつ頃から考えてたんですか?

コトリンゴ:中学の頃から雑誌を個人輸入するくらい、アメリカの文化が好きだったので、アメリカの高校に行きたいと思ってたんです。その時は叶いませんでしたが、並行して「音楽をやりたい。」という気持ちも持ってました。ジャズピアニアストの大西順子さんや小曽根真さんのことを通してバークリーの存在を知り、「そういう道もあるんだ。ジャズを勉強したいな。」と思うようになりました。

高校の頃から、いわゆる渋谷系の音楽も好きになって、フリッパーズギターやカヒミカリィなども聞いてました。小沢健二さんのバックで演奏されていた東京スカパラダイスオーケストラの沖祐市さんを見て、「かっこいいな。こういうことやってみたいな。」という憧れは持ってました。

Rock oN:バークリーへは高校卒業後、ということですか?

コトリンゴ:いいえ。高校卒業後、バークリーに行きたいと思ってましたが、周りから「日本の学校に行ってからでも遅くないから。」とアドバイスされ、奨学金試験に通ることを目標に考え、バークリーが提携しているいくつかの日本の学校の中の1つである甲陽音楽学院に行くことにしました。

Rock oN:その時、音楽の道へ進む将来の自分像みたいなものはありました?

コトリンゴ:なんとなくあったんですけど、私は自己完結型なタイプで、「曲を弾けるようになれば楽しいので練習する。」といった動機の方が大きかったと思います。そんな部分が、自然と、一人で作る今のスタイルに繋がってると思います。もちろん、他の仲間と一緒に作ったり、演奏することも楽しいんですが。私は人をびっくりさせるのが好きなんですよ!

Rock oN:それはどういうことですか?

コトリンゴ:地道な姿を人に見せないように一人でこっそり作って、出来上がったら「こんなの出来たよ。」って完成だけを人に見せるのが好きなんです(笑)。自分が人見知りということもあるかもしれません。昔から、家でピアノを練習してる時に来客が部屋に入って来たら、「私、ピアノなんてよく分かりません。」見たいな顔をしてみたり(笑)。バークリーでも、打ち込みの授業で先生の話を聞いてない振りをしてたくせに、後で完璧な打ち込みを作って先生をびっくりさせる、みたいなこともしてました。

Rock oN:なんですか、それは?(笑)。先生からしたら意味が分からないですね。生徒は学びに来てる訳だから。今でもそうなんですか?

コトリンゴ:そうですね。途中経過を人に聞かせたくないんです。自分が苦労してる姿を見せたくなくて、ずっとあまえていたいという気持ちがどこかにあるのかな?

Rock oN:うーん、複雑ですね。よくわかりません(笑)。制作の途中で迷うことがあって、人にアドバイスを求めることはないんですか?

コトリンゴ:なんとなく相談はしますが、でも最終的に決めるのは自分じゃないですか。相談して、アイデアの根元からばっさり断じられることもあるじゃないですか。私はそこまで強くないので、できるだけ作り込んでから聞かせる、といった場合が多いです。CM音楽のお仕事を頂いた時、「こういう感じで。」という前提があるんですけど、作ってるうちに自分だけで盛り上がっちゃうこともあって、最初の方向から脱線してしまい、でも脱線しながらも自分で「これはすごい!!」と思って提出するんですが、先方から「違います。。。」と言われることもあったりしました。

Rock oN:そうですね。商用音楽では依頼側の要望が第一ですからね。

コトリンゴ:はい、気を付けます(笑)。

穏やかな口調で話される「人をびっくりさせるのが好き。」という言葉の意味する所を理解するまで少し時間がかかりましたが、「びっくりさせられた人の顔を見ながら、コトリンゴさんは何を思っているのだろう?」みたいなことも考えてみました(笑)。一筋縄で行かない存在であるのは間違いなさそうです。

アメリカ文化への憧れとバークリー留学

Rock oN:甲陽音楽学院の2年間で得たものは何でしたか?

コトリンゴ:ジャズの基礎になるコードのボイシングやインプロビゼーションの心構えが身に付きました。あと、コピーを沢山やりました。甲陽の時は音楽理論の授業はそんなに理解出来なくて、すごく理論を解ってる他の男の子たちが授業では前の席に座っていたんですが、私は後ろの方でただ聞いていた、という感じでした。でも、甲陽からの推薦枠に入る事ができたので、バークリーの奨学試験は受けなくて進学できることになったんです。

Rock oN:英語も必要ですよね?

コトリンゴ:英語は得意ではなかったんですが、バークリー入学後、英語を第二言語とする人のためのESLのセミナーが夏にあって、そこで一定の成績を取れば次の秋の授業から参加できる、ということだったので勉強しました。

Rock oN:海外での生活に不安はありませんでしたか?

コトリンゴ:多少の不安はありましたが、甲陽から一緒に行った人がいたので、わりと楽しんで生活してました。専攻はデュアルメジャーといって2つ選ぶんですが、ジャズ作曲・編曲と演奏科を選びました。

Rock oN:学校は厳しかったですよね?

コトリンゴ:そうですね。奨学金を受けている学生は一定の成績を取らないと奨学金が貰えなくなるんです。私は一般大学に行ってなかったので、歴史などの一般教養の単位も取ろうと授業を受けたのですが、その単位が一番危なかったです。単位が足りない時は、他の一般大学で授業を受けて、その単位をトランスファーするシステムもありました。

Rock oN:行ってよかったな、と思うのはどんなことですか?

コトリンゴ:音楽の色んなスタイルに触れる機会があったことです。ジャズを勉強したくて行った訳ですが、クラシックピアノの先生のことが好きになったり、アルバイトで歌科の授業の伴奏をした際に、楽譜を初見で弾く勉強になったりと、色々経験できました。

Rock oN:今の自分の作品への影響はありますか?

コトリンゴ:あります。ベースにジャズがあるので、コードの積み方もそうだし、カウンターポイント的な旋律や、ポップミュージックにしてはすんなり行かない進行、という作り方があったり。それは大きいですね。

迷いを抜け、自分の音楽を見つけたニューヨークでの生活

穏やかな雰囲気のCentral Park
- Rock oN Show Report より -St James 島からNew Yorkを望む
- Rock oN Show Report より -
Rock oN:バークリー卒業後ですが、日本に帰ってこられたんですか?

コトリンゴ:いいえ、ニューヨークに移って4年間住みました。ピアノ教室で先生のバイトをしたりしてました。ビザは貰えたんですが、それまでの学生という身分と違って外国人労働者という立場になるので、たまに嫌な事もありましたが、基本、楽しく生活してました。

Rock oN:周りの同級生は、若いし野心旺盛だから、どんどん自分を売り込んで行く人ばかりだったと推測するのですが、コトリンゴさんはそれと真逆のイメージがありますね(笑)。

コトリンゴ:「人をびっくりさせたい。」という気持ちは常にあったのですが(笑)。「これだ。」とやりたいことが決まればスイッチが入って動くんですが、その当時は自分の中に迷いがあった時期で、自分がジャズのCDを作ってジャケット写真でニコッと微笑む、みたいな事が将来像としてイメージ出来なかったんです。

卒業祝いに父がPoweBook G4を買ってくれたんですが、ガレージバンドを使って、今に繋がるような音楽を作り始めました。オーディオ・インターフェースは持ってなかったので、Rec待機状態にしたMDレコーダーをPowerBookの入力端子に繋いで、そこにキーボードやマイクを繋げて録音してました。

Rock oN:その頃、自分で歌われてました?

コトリンゴ:いいえ。同じ趣味の人が見つかれば歌ってもらおうかなと思いながら曲を作ってたんですが、ジャズをやってる仲間にジャズでない音楽を聞かせるのが少し恥ずかしかったということもあって、誰にも言わず、こっそりやってました。そういうことで誰にも頼めなかったので、自分で少しずつ歌うようになりました。その頃、ジャズをやってた人達の中にエレクトロニカという切り口で音楽を作ったり、ライブハウスで演奏すような人が出て来たので、そういう人達との出会いが、ジャズの世界とポップスの世界を繋げてくれる感じで、自分にとって救いになった時期でもありました。

Rock oN:デビューのきっかけになった曲はニューヨークに住んでる時に作ったのですか?

コトリンゴ:はい。ニューヨーク郊外のピアノ教室に先生のバイトをしに、電車で30分くらいかけて通ってましたが、その通勤電車の中が、曲や歌詞を考える時間だったんです。そこで思いついたアイデアを、夜、家に帰ってからコンピューターで打ち込む、みたいなことを繰り返していました。ファーストアルバムに入ってる曲のほとんどが、その時のものです。その時期に、曲を作ることで、それまでになかった楽しさを見つけることが出来て夢中になりました。何が良くて何が悪いかをジャッジするのも自分だし、先生に「これはジャズじゃない。」と言われることもないし、開放された感じがしました。曲がたまってきたら「人に聞いて欲しいな。」と思うようになり、坂本さんの番組に曲を送ったんです。

メッセージをくれたのは生活指導の坂本先生?

Rock oN:選ばれた時のお話をお聞かせ下さい。

コトリンゴ:ディレクターさんから、私の曲をラジオで流して下さるという連絡を頂いて、「丁度その放送回はニューヨークで収録するからお話しませんか?」という話でした。最初の頃はディレクターさん経由で「教授もいいと言ってますよ。」と連絡を頂いてたんですが、母に話すと「それ、だまされてるんじゃない?」みたいなことを言うんですよ(笑)。確かに、私も坂本さんに会った訳じゃないし、連絡を下さるのはいつもディレクターさんだし(笑)。しばらくしたら、SNSで突然、送ったデモの感想が来たんですよ。その送信元の名前が”坂本”さんだったのですが、あの坂本さんだとは気付かすに、なぜか高校の時の生活指導の先生が坂本先生だったと思い出し、すっかり勘違いして「わぁ、怖い。なんで、坂本先生が私に!?」と思って(笑)。しばらく経って、坂本龍一さんご本人だと判かったんですが(笑)。

Rock oN:坂本龍一さんと初めて会ったのは?

コトリンゴ:その後、「オフィスに遊びに来なさい。」という連絡を頂いたんですが、「遊びに来なさい、と言われても。。。」となるじゃないですか。でも遊びに行ったんです(笑)。そこで坂本さんがプロデュースされていた「ロハスクラシック・コンサートというイベントがあるので出ませんか?」とお誘いを頂きました。

Rock oN:それまでのライブ出演は?

コトリンゴ:セッションなどのライブ経験はありましたが、ステージで歌ったことはありませんでした。坂本さんは「ピアノだけでもいいし、何でもいいよ。」と言って下さったんですが、私はこれからやりたい事が自分の中にしっかりあったので、「コトリンゴ」として出演しました。場所は王子ホールでした。

Rock oN:デビューがホール。すごいですね(笑)。CDリリースの話は?

コトリンゴ:「commmonsというレーベルを作るので、それに合わせてCDを出しませんか?」というお話を頂きました。ロハスクラシック・コンサートに月桂冠のCMの監督さんがいらしてたんですが、、CM の為に曲を作らせていただく話になり、シングルとしてリリースしました。坂本さんにプロデュースして頂いたんですが、私が作った打ち込みデータをブラッシュアップしてくれたり、音色を変えたり、歌をスタジオで歌い直して差し替えたり。トラックダウンのエンジニアはフェルナンド・アポンテさんなんですが、一緒にニューヨークでたいやきを食べながらやりました。彼はあんこが好きなんです(笑)。

これを読んでる多くのクリエーターが憧れるようなデビューストーリーだと思いますがいかがでしょう? ここで思うのは、コトリンゴさんが、学んできたジャズに捕われることなく、自分だけの音楽を、迷いの時期を通して見つけられたということでしょう。それにしても、ニューヨークで曲を作って、ニューヨークで坂本龍一氏と出会う、というストーリーはとてもかっこいい訳ですが!!

「おじいさんパソコン」から新たな制作環境作りへ

Rock oN:制作スタイルについてお聞かせ下さい。

コトリンゴ:基本、自宅で作ったものをべースにして、生録などで差し替えていく、といった感じです。ファーストアルバム制作時にMbox2を買いました。DAWはProTools LEです。パソコンは2003年から2012年の始め頃まで、父に買ってもらったPowerBookをずっと使ってました。私は「おじいさんパソコン」と呼んでました。クリックしてもずーっと考え中だったので(笑)。次第に機材への興味も大きくなってきたんですが、まずはその「おじいさんパソコン」の買い替えかな、と思って去年、新しくiMacを買いました。同時に、坂本さんと一緒にサウンドトラック「新しい靴を買わなくちゃ」の仕事があったので、ラップトップの必要性もあってMacBook Proも買いました。ソフト音源もいくつか買い揃えました。オーケストラ音源はEAST WEST QUANTUM LEAP Symphonic Orchestraを買って張り切ってたんですが、坂本さんは「VIENNAがいいよ。」と言ってました(笑)。Sample Modeling Brass Bundleは、使っててすごく楽しくて、新作アルバム「ツバメ・ノヴェレッテ」でも使ってます。今、気になってるのはベース音源のSpectrasonics TRILIANです。譜面はSibeliusを使ってます。

Rock oN:機材を新しくしたことで、制作スタイルに変化はありましたか?

コトリンゴ:ソフト音源の音がいいと、自分でアレンジをシミュレーション出来るので、作業効率が良くなりました。

Rock oN:これから欲しい機材はありますか?

コトリンゴ:マイクが欲しいですね。今は、ライブで使ってるゼンハイザーのコンデンサーマイクを自宅のデモ録音でも使ってるんですが、自分の家でも本番テイクを録れるようにできたらいいですね。

Rock oN:スタジオワークは好きですか?

コトリンゴ:はい。作業の隙を見てエンジアさんにPro Toolsのことで気になってることを質問したり、機材のことをあれこれ聞いてみたりするようになりました。昨年7月にEarthworksのマイクを使ったハイ・ディフィニション・マイキングセミナーでは、マイキングの楽しさを知り、マイクの種類やマイキングについても、とても興味があります。昨年の坂本さんとのサントラの仕事の時、坂本さんが作業されるのを近くで見てたのですが、データの処理の仕方だったり、オーケストレーションのことだったり、使われてるリバーブの種類だったり、とても勉強になりました。自分でも色んなことが出来るようになる、ということに憧れています。

Rock oN:今後の活動の目標はありますか?

コトリンゴ:今年2013年の目標は、制作環境作りでもあるんですが、それを通して、もっと色んな楽器のことを知りたいです。昨年のサントラの仕事以降、オーケストレーションにも興味を持つようになったので、オーケストラを使ってる楽曲の細部にも耳が行くようになり、色んな発見があります。自分の音楽のベースになるものは変わらないと思いますが、もっと音色を豊かにして、音楽性の幅を広げていきたいです。リリースしたばかりのアルバム「ツバメ・ノヴェレッテ」のM-1 “Preamble”には、サントラの経験を反映することができ、今までと違った音の使い方が出来たと思います。また、クラムボンのミトさんがプロデュースされた木村カエラさんの“Sun shower”という曲で、ピアノ演奏のお仕事を頂いたんですが、自分にない要素を持った曲を弾くことができ勉強になりました。そういうことも、もっとやって行きたいです。

Rock oN:最後の質問です。ご自身にとって音楽とは何でしょう?

コトリンゴ:「ごはん」ですね。自分にとってなくてはならないもの、という意味でもあるし、聞くことに加えて、自分で「ごはん=音楽」を作ることによって、それが心の栄養になり、生きて行く糧になりますから。


お話の中に出て来た「ジャズ」、「渋谷系ポップス」、「バークリー留学」、そして「ニューヨーク」というキーワード。これらの要素がコトリンゴさんの音楽を形作るのに影響を与えて来たと考えると、とてもユニークです。しかし、「人をびっくりさせたい。」という気持ちを心の奥底に持ちながら創作されている、という人柄が、それに増してユニークでしたが(笑)。「制作機材への興味がますます大きくなっている。」とのことですので、制作環境の方面からも「リスナーをびっくりさせる」サウンドが生まれて来るのではないかと思い、とても楽しみです。


このコーナーでは、音を作り出す活動をされている方の出演を募集しています。ミュージシャン、サウンドエンジニア、作曲家、アレンジャー、はたまた音効さんや声優さんなどなど。音楽機材に興味を持っているかたなら、なおOKです。お気軽に、下アドレスまでご連絡下さい。また、ご感想、ご希望等もお待ちしております。連絡先アドレス : store-support@miroc.co.jp

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