音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。第8回目は、スキマスイッチ 常田真太郎さんです。数々のヒット曲でお茶の間レベルまでお馴染みなので、改めてご紹介する必要はないと思いますが、デビュー前から弊店 ロックオン・カンパニーに来店されていたという事実から察し、面白いお話が聞けるはずと臨んだスタッフ一行は、同じ事務所の先輩、スガシカオさんが以前使われていたという都内のプリプロスタジオにお邪魔しました。

昨年末の紅白でスキマスイッチの演奏をご覧になった方も沢山いらっしゃたと思います。これから紅白リハーサルへ、という師走の大変お忙しい中、都内マンション内にあるスタジオで、貴重なお時間を割いて迎えて下さいました。お邪魔したお部屋は、ヒットチャートを賑わす楽曲が生み出される、まさに“その場所”なのでした。

2007年12月20日取材

音楽への目覚め、スタートは宅録少年

Rock oN:音楽へ目覚めたきっかけをお伺いできますか?

常田真太郎氏(以下 常田):実は、ピアノを習ってる男の子を冷やかしてばかにしたり。。。という子供だったんです。でも、中三の終わり頃から槇原敬之さんを聴くようになりました。高校に入るとピアノがものすごく上手くて、ルックス抜群の男の子と同じクラスになり、彼の演奏に憧れてしまって、同じ柔道部にいた友達をギターで誘ってバンドを始めたんです。

Rock oN:ご自宅にはピアノはなかったんですか?

常田:なかったです。柔道部にKORG 01Wを買ったという友達がいて、「じゃあ僕もシンセ買うか」と思ってバイトしてKORG M1を買ったんです。

Rock oN:鍵盤は独学で?

常田:そうですね。始めは人差し指1本で押さえるような感じ。。。17歳の頃なので遅いスタートとも言えますね。ピアノの、いわゆる「重い鍵盤」に触れるのも二十歳過ぎてからですからね。それまで、鍵盤は(MIDIの)入力用として使ってました。

テレビなどでお見受けする常田さんの印象は「ピアノを弾き込むプレヤー」だったので、意外なお話です。さらにお話は、宅録方面に向かい、面白くなっていきます。

Rock oN:へぇー、常田さんのイメージはプレーヤーという感じがあるので意外ですが。

常田:当時やっていたバンドはベースレスの変わった編成でしたが、ライブよりも「音源優先」という感じでやっていました。その頃は、考え方も含めて制作メインの日々を送っていました。TASCAMの4チャンネルのカセットMTR PORTASTUDIO 424から始まって、8チャンネルのPORTASTUDIO 488に行って、シーケンサーはRoland mc-50 mkIIでステップ入力をやってたんですけどトラックが足りなくなってYAMAHA QY300に変えました。その頃一緒にやっていたボーカルの人は、B'zやエアロスミスなどのハードロックが好きだったんですが、QY300で作ったオケの2ミックスをMTRに流し込んで、ギターやボーカルを重ねていました。繰り返すうち、その制作スタイルが嫌になって、そのバンドが終わる頃に発売されたばかりのROLAND VS-880を買ったんです。

その頃は「VS 1台で飯を食っていける」と思ってたんですよ(笑)。 実際に友達のバンドのレコーディングをしてお金を貰ってたんです。自分にとってのVSの裏技と呼べる使い方もありました。その期間に、レコーディングの知識を結構勉強しました。その頃からプロデューサーやアレンジャーになりたかったんですよね。レーベルを始めたのもその頃で、バンドものやシンガーソングライターの作品を手がけたりもしてましたし、そういえばレーベルにはインディーズの頃のサンボマスターもいました。生ドラムを録る時にはスタジオにVSを持ち込んで、「レニクラのドラムはマイク3本らしいぞ。」とか情報を集めて、自分で試行錯誤しながらマイクを立ててました。マイクは当時、スタジオにあるものやVS-1680に付いていたAKGのC2000などを使ってました。バンドからいろいろ注文が来るんですけど、1回アナログで外に出して音を荒らしたり、やっちゃいけないんでしょうけど、入出力をケーブルで繋いでクリップさせたり。「ピーッ!」って鳴るんですけどね(笑)。 色々工夫をして、「インディーズにしては音がいいね。」と言われるくらいを常に目指していました。

スキマスイッチへの転機  〜 音源先行のスタート 〜

Rock oN:スキマスイッチ結成の経緯をお聞かせ下さい。

常田:レーベルをやってた頃は、バンドを同時に3つ4つやっていましたが、それまでの経験を自分の思うように1つのことに注ぎたいと思って、実はボーカルを探していて、大橋君と出会ったんです。彼は、前出のピアノの上手い同級生と地元名古屋でバンドを組んでた後輩で、僕の1年後に上京してきたんです。最初、「一緒にやろうよ。」とアプローチをかけてたんですが、「ソロでやるから。」とやんわり断られて(笑)。でも、僕は諦めずに「イヤ、絶対お前はソロでは無理だって。」とか言ってたんですが、やがて、1年後くらいに大橋君から「自分の曲をアレンジしてくれ。」と頼まれたんです。僕は、大橋君のPCとCakewalkを一緒に買いに行ったんですが、彼は買ってもぜんぜんやんないんですよ(笑)。それで僕がまず1曲手がけたんです。それを大橋君はすごく気に入ってくれたようでした。まだ、正式に一緒にやろうと決まる前に、僕は当時組んでいたバンドの曲も含めて20曲くらいの音源を持って業界の方に聞かせにいったんです。すると大橋君とやった曲だけが気に入られて、「二人で組んでんの?」と聞かれて、「あっ、組んでます」ととっさに言って(笑)。 その夜、大橋君に電話して、「僕ら組んだほうが良いみたい。」と話をして(笑)。

Rock oN:じゃあ、ライブじゃなくてデモテープがデビューへのスタート地点だったんですね?

常田:そうですね。当時は業界の人から「ライブをやらなきゃだめじゃん。」とか色々言われたりはしましたけど、僕は「そうじゃない。」と思ってました。当時から今とほぼ同じ音楽スタイルだったんですが、周りからは「若いんだから、もっとはじけるようなのやれば。」とか、ちゃちゃも入れられたりしました。僕としては「音楽スタイルに年齢は関係ないじゃん!」と思ってましたが(笑)。ドラムを含めた音源は当時はエクスパンジョンボードを積んだRoland JV-1080等を使って、Cakewalkで打ち込みしてました。ピアノは「そろそろちゃんと弾かなきゃいけないな。」と思ってたので、クオンタイズをかけずにMIDIで入れました。

Rock oN:その時、歌入れ時のディレクションなど、プロデュースすることに対する意識はどうでした?

常田:完璧にありましたよ。大橋君がアイデアを思いついてその場で変えて歌おうとすると、僕が「いやいや、ちょっと待って」と元に戻すようお願いすることもありました。当時は渋々従ってくれましたが、今は逆で「思い付いた事を全部やってみて。」というスタンスでやっています。スキマスイッチは、スタート時点から最終形を見据えたプロデュースありきの音作りを目指してやっていました。ただ当初は、30、40歳になった頃にはプロデューサーやアレンジャーになっていればいいなと思ってましたから、デビュー前にデビューする時はプロデューサーを誰にしたいかという企画書を作って事務所に出したんです。でも、全部却下されて、結局「お前やれ!」と言われちゃったんですが(笑)。

Rock oN:メジャーデビューまではスムーズだったんですか?

常田:あるオーディションの客席に今のマネージャーがいて、僕らの音源を気に入ってくれたんです。曲とアレンジについては今のままでいいと言ってくれたんですが、歌詞がとにかくダメだったんです。それから1年くらい、ずっと歌詞を書く練習をしたんですが、何度も社長から「お前らはダメだ。」と言われて「次ダメだったらクビだ!」みたいなことになってました。

Rock oN:宅録青年にとって、歌詞は大変だったんじゃないですか?

常田:いや、実は僕は歌詞が昔から大好きだったんですよ。槇原敬之さんが好きな理由は歌詞の世界に惹かれたこともあるので、サウンドについては歌詞の世界観を優先させる、どちらかというと後付けの存在なんですよ。

Rock oN:メジャーデビュー時のスタジオ作業はどうでしたか?

常田:色々分らないことだらけでした。でも、事務所の人は「自分達でやれ。」と現場で何も言ってくれない。事務所にとっては大ばくちですよね。。。譜面の書き方をはじめ、色んなことを現場で教えてもらいました。1つ分ったことがあって、スタジオに来て頂くミュージシャンは活躍されている名うての方ばかりなんですが、お任せで弾いてもらったら、それだけですごい作品がスムーズに出来あがると思ってたんです。でも、それは大間違いでした。こうして欲しいと伝えた上で、さらに発展させてもらったり、微調整をお願いして弾き直してもらったり。そういう作業が必要でした。それは僕にとって初めてのことで目から鱗な経験でした。「言い方にもっと気をつけた方がいいよ。」と注意されたこともありましたが。。。

佐橋佳幸さんにペダルスチールギターを弾いてもらったことがあったんですが、「すいません、それないです。」と、僕がさらっとNGを出した事があったんです。周りの人からみれば「なんだこいつは、生意気な!」と思われてたようですが、佐橋さん本人はそれが面白かったようで、「やりたいことを明確に持ってて作業も楽しかったからまた呼んでよ。」と気に入ってもらったみたいなんです。楽器の弾き方や、機材のことや色んな事をスタジオで吸収した時期ですね。エンジニアが松田龍太さんになってからは、さらに色んなことを教えてもらい、レコーディングに対する意識が大きく変わりました。。

Rock oN:"かつて宅録をやっていた時の自分"と、現在、"大きなスタジオで作業をする自分"に繋がっている部分はありますか?

常田:いつも心がけてることがあって、僕は整然としているものより、どこかいびつなものが好きなんです。例えるなら「スポ魂の主人公」。ポテンシャルは高いんだけど、いつも空回りしちゃうような音が好きなんです(笑)。歌詞がすごく良い事を言ってたりすると、その部分のメロディやコードを変にするとか。今ではそこを周りのミュージシャンは「僕っぽい」と言ってくれたりしますね。。

信頼するSONARを中心に据えたプリプロワーク

Rock oN:このスタジオではどういう作業をされてるんですか?

常田:スキマスイッチだとプリプロまでですね。個人的にインディーのレーベルもやってるんですけど、それはTDの本チャンまでやります。作曲は、ほとんど、ここのSONARを使ってやります。 ローランド ミュージ郎の時からずっと使っていますが、なにより軽くて動作が早く、一度も止まったことがないので、今さら乗り換えようと思わないですね。最近になってPro Toolsとの相性、特にワードクロックの同期まわりが良くなりました。Pro Tools | HDになったら急激に良くなりましたね。Toolsマスター、SONARスレーブの設定でやってたんですけど、先日試しに、Toolsマスター、SONARマスターでやったらばっちりタイミングが合うようになりました。SONARで打ち込んだものを、Pro Tools|HD2に流し込む流れですね。新しく出るSONAR7も期待してます。SONARに要望があるとすれば、画面の拡大縮小表示がもっと自在になって欲しいことくらいかな。

Rock oN:WindowsとMacが共存する、仕事場としては、あまり見ない組み合わせですね?

常田:SONAR用の他、2台のWindowsマシンではGiga Samplerを使って、主にストリングス用に大活躍してます。ギター以外全て、弦アレンジ、管アレンジまで含め、ここでプリプロを行ったものをスタジオに持って行って、生のドラム、ベース、ギターを入れ、またここに持ち帰るんです。日程を間に1日空けてもらい、弦管アレンジをし直します。最近は、ミュージシャンのいい部分を引き出すプロデューススタンスなので、演奏のよれなどあっても聴いて心地良ければ直すことなく、それを活かすようにアレンジし直します。ミュージシャンが「こっちのコードが面白いんじゃない」と演ってくれたものも、このスタジオに一度戻ってきて、活かすようにしています。鍵盤は最終段階で入れます。場合によっては、fxpansion BFD、SYNTHOGY IVORY、Native instrumenst B4、Pro-53などのソフトシンセも、いい結果が出れば本番に活かすこともあります。。

Rock oN:こだわってる機材はありますか?

常田:ヘッドフォンなんですが、SENNHEISER HD650ですね。長時間使ってても全く疲れなく、ハイ抜けが良く、細かいところまで分るのがいいです。リスニング用としても使ってます。定位の分離が100段階単位で分るくらいいいので、スタジオにも持って行ってブースに籠り、「右に10」とか言って、楽器の定位チェックと修正を行うんです。アレンジの最後は、定位が全てを決めると思ってるので、定位ありきのアレンジを行って細かく調整します。このヘッドフォンの音質が仕上がりに影響して、柔らかいサウンドになってると思います。

Rock oN:Pro Tools HD|2は、いつ導入したんですか?

常田:約2年前ですね。最初はHD|1だったんですが、Massive Pack Proを購入して HD|2にしました。本チャンのスタジオとのやり取りもありますが、自分でエディットしたかったのが、導入の大きな理由です。エディット、大好きなんですよ(笑)。 導入当時はボーカルのタイミングなども全部自分で直してました。さすがに今はやってませんが。最新のMassive Packには、Echo Farmが入ってたので購入を検討してます。

スキマスイッチのこれから、同世代ミュージシャンに対する想い

Rock oN:これからの予定、夢をお聞かせ願いますか?

常田:ボーカルの大橋君がソロ活動を始めたばっかりなんですが、2008年はお互いソロの活動に重点を置くことになりそうです。お互い、ソロ活動でスキルアップをして、また二人一緒の活動に戻って、そしてまた別々に活動して。。。というような、例えばホール&オーツや、スティーリー・ダンのような、ずっと活動を続けるユニットが理想ですね。他の人のプロデュースも、いくつかお話を頂いていますが、とりあえず僕がやる意味があるものをやらせていただくようなスタンスで考えています。

これまでの経験で分ったことは、エンジニアさんが変われば、例えれば“国が変わる”レベルで音が変わる。スキマスイッチでは、エンジニアの松田龍太さんは第三のスキマスイッチと言える存在なんです。だから、もっとエンジニアさんの地位を上げるような方法はないだろうかと思ってるんです。参加して頂いてるミュージシャンについても同様です。エンジニアさんやミュージシャンのギャラを、印税という形にして、売り上げ枚数に比例するようにしたら、みんなの意識が変わって結束が固まったとう例も耳にしてます。海外ではそういう形は多いようですけど、日本ではレコードメーカーがトップにあるので、事情が違いますね。その辺りの事情をくつがえせるように、がんばって行けたらいいなと思っていますね。

今、現場で活躍している方々は40代後半の世代の方々で占められていて、しかもその世代の方々は20代の頃から活躍されていて、そのまま世代が上がってきているという感じで、すごく憧れますし、羨ましいです。だから、僕ら世代のミュージシャンの底上げになれるようなことがやって行ければいいなと思っています。

Rock oN:最後に質問ですが、常田さんにとって“音楽”とはなんですか?

常田:ズバリ仕事です!(笑) もちろんいい意味で、ですよ。というのも親父がプロのカメラマンなんですよ。そういうこともあってか、職人的なことに憧れを持っていて、常にクライアントに対して良い仕事がしたいと思ってます。。

アーティストというイメージでお話を伺っていた私達取材陣ですが、あっさり「音楽は仕事」という割り切ったお答えに少し意外性を感じました。ただそれは、裏を返すと、スキマスイッチの、人を惹き付ける親しみやすさに隠された、実はとても細かく織り込まれたメロディラインや、定位までこだわり抜いた綿密なアレンジワークなど、職人肌を感じさせる常田さんの姿勢の表れでとても納得がいきます。定位をヘッドフォンで確認して1単位で修正していく。。。というエピソードは、まさにそのことを裏付けているのではないでしょうか。

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