音をクリエイトし、活躍している人をご紹介するコーナー「People of Sound」。このコーナーでは、制作者の人柄が、サウンドにどうつながっていくのかに注目。機材中心のレポートから少し離れ、楽しんでお読み下さい。第14回目は、COIL 佐藤洋介さんです。

COILは岡本定義さんと佐藤洋介さんの2人による音楽ユニット。1998年に自宅録音、かつ完全アナログレコーディングでデビューということで、弊社サイト読者の方も、どんな機材を使っているのかと気になるのではないでしょうか?COILのスタジオ「ロープランド」にお邪魔して、エンジニアを手がけられる佐藤洋介さんにお話をお伺いました。

2008年9月18日取材

フュージョン、ロックとの出会い -岡本兄弟の影響-

Rock oN:音楽に出会った頃のお話からお伺いできますか?

佐藤洋介氏(以下 佐藤):僕の年代だと、少年時代はステレオが発達した頃で、コンポを始めとしてたくさんオーディオ製品が世の中に出て来たんです。自分で初めてラジカセを買う時に、カタログに書いてあるS/N比、ワウフラッター、周波数特性、ドルビーといった値を隅から隅までチェックして、悩みに悩んでですね。。。

何歳の頃ですか?

佐藤:小学校2年くらい。

S/Nの意味とか分かってたんですか?

佐藤:友達から「S/N比が高いほどノイズは少ない」といった情報は聞いてたので、友達よりノイズが少ない製品を手に入れたいと思って探してたんですよ。当時、シャネルズが宣伝してたパイオニアのランナウェイというラジカセで、1つ古い型が安く売ってたので買ったんです。5つ年上の兄が洋楽好きでキッスやビートルズなどのレコードを持っていたのですが、どうやったら自分のラジカセにいい音で落とせるかということを考え、兄のコンポから自分のラジカセに線を繋いでカセットテープに落としてました。勝手に使わせてはもらえなかったので、兄が部活で遅く帰ってくる前に、黙って使ってたんです。そうやって色々工夫する中で、音楽に対する興味も深まりました。

小学校6年になると、クラスにアコースティック・ギターを持ってくる奴がいて、アリスやかぐや姫など弾いてたんです。男子としてはやっぱり惹かれるものがあってギターが気になったんですが、「そういえば、兄がギターを持ってたような。。」と思い出して、押し入れの中を探したらギターがあったんです。

なんとか自分のお小遣いで弦を買って、かぐや姫を弾き出したのかな。。。平凡や明星のうた本とかを見て。曲は「22才の別れ」だったと思うんですが、しつこくその曲を練習して弾けるようになったんです。途中でFなど弾けないコードがあっても、「きれいに音が出なくてもいいや!」といって1曲弾きこなすことを目標にしたんです。1曲弾けるようになると自信が出て、レパートリーが増えて行きました。今もそうですが、どっちかというと「ポジティブシンキング派」なんです。(笑)

佐藤:中学1年になると、同級生にCOILの相方(岡本定義さん)の弟がいたんですが、彼も音楽が好きで「最近かっこいいのを見つけたんだよ!」と言うので、学校の帰りに彼の家に寄ってステレオで聞かされたのがカシオペアだったんです。いきなりフュージョンだったんです。 彼はベースがすごく上手くて、曲に合わせて弾いてくれて、「すげーなー!」と僕はびっくりしたんです。たまに岡本の兄貴(COIL岡本定義さん)が学校から帰って来て、兄弟2人でレコードに合わせて弾き出すんです。レコードが終わっても兄弟でセッションが続くんですが、今考えると気持ち悪いですね(笑)。でも、僕は「楽しそうだな、かっこいいな。」と思ったんですね。僕もそこからフュージョンにハマリました。

エレキ・ギターは、正月のお年玉を貯めて渋谷の楽器屋に買いに行ったんですが、あまりの高さにびっくりして、その時は10,000円しか持ってなかったんですが、買えるギターが9,800円のレスポール・タイプしかなく、「これ下さい。」と店員に言ったら、「僕ね、これ、9,800円で売ってるんだけど、ペグが付いてないんだよー。」と言われて、よく見たら本当にペグが付いてなかったんです(笑)。

「ペグ買うと安いのでも2、3千円するし、弦も買わなきゃならないからね〜」と言われ、「そうなんですか。。。」と困ってたら、店長さんらしき人がやって来て、「僕これ欲しいの?ちょっと曲がったペグが余ってるから付けてあげるよ。」と言ってくれ、さらにケースまで付けてくれたんですよ。底が破れててギターが半分出ちゃうんですが(笑)。そのギターでカシオペアをコピーしました。最初の曲は「朝焼け」でした。1個のアンプにギターとベースを繋いで、岡本(弟)と一緒に練習もしたんですが、人とセッションすることの楽しさをその時知りました。

少年時代に受けた影響は、大人になっても強く残るもの。佐藤さんの音楽に対する価値観を決めてきたシーンには現在の相方 岡本さんとその弟さんがいらっしゃったようです。さらにCOILデビューまで、3人の音楽的な交流が続く事になります。

Rock oN:バンドはやったんですか?

佐藤:岡本(弟)とは別の高校になったんですが、僕は新設校に行ったので、まだ部活がなかったんです。軽音楽部を作ろうと要望を出したんですが、学校からは「近所の騒音問題で無理です。」と断られてしまいました。でも、おかしなことに吹奏楽部はOKだったんですけどね(笑)。

今でもオーガスタ・キャンプなどでCOILのドラムを叩いている古谷君は幼なじみなんですが、彼はドラムを叩ける環境の家に住んでたので、そそのかしてドラムを買わせて(笑)、ベースは高校の同級生を誘って3人でバンドをはじめました。その時点でジャンルはフュージョンからロックに移ってました。また岡本兄弟に、「カッコいいのを見つけたんだよ!」と聞かされたのが、CharがやってたPINK CLOUD。

それまで、フュージョンで「タラララ、タラララ」ってスケール練習をしてたんですが、「ギュィ〜ン!」とチョーキングして「グゥヮ〜ン!」とアーミング・ダウンで完結しちゃうようなギターソロが僕の心に刺さったんです。冷静に考えて「カシオペアみたいになるためには、カシオペア以上に上手く弾けなければいけない。これだと一生練習しても勝てないよなぁ。でも、「ギュィ〜ン!」なアバウトな世界でもかっこ良ければいいんじゃないか。」という方向に考えを転換したんです。それで、高校3年間、そのトリオでPINK CLOUDのコピーをやっていました。シェルガーデンという横浜のライブハウスがあって、そこは昔からゴールデンカップスやCharを始めとする横浜のミュージシャンが出てる有名な場所だったんですが、そこのブッキングの人と仲良くなって、よく出させてもらいました。

Rock oN:オーディションとか出なかったんですか?

佐藤:いくつか受けましたが、僕のバンドは何もひっかかりませんでした。

Rock oN:応募審査用のデモテープの録音はどうされたんですか?

佐藤:会場みたいな所に行くと、そこには固定したビデオ・カメラが置いてあるんですよ。応募バンドはその前で演奏するだけなんです。当時のコンテストはパフォーマンスも含めて審査されてたんです。ひどい所になると、ギターをライン直結で入れてました(笑)。録音した内容の確認のため再生されるんですが、ディストーション踏んだら音が「ビービー」いうだけ。「あれ、俺こんな音だった?」みたいな感じでした。その時はすごいがっかりした記憶があります。当時は、どうやったらきれいに録れるだろうといった考えはなかったですね。

満員電車に耐えられず。。。 -初めての就職-

佐藤:18歳になり、婦人靴の卸の会社に就職したんですが、満員電車が嫌で3ヶ月で辞めたんです。

Rock oN:会社の場所はどこだったんですか?

佐藤:田園調布なんですが。。。

Rock oN:ここから近いじゃないですか(笑)

佐藤:耐えられなかったんです。これが毎日続くとヤバイと思ったんです。その後、しばらく仕事を探してたんですが、次は続くような仕事にしたいなぁと思って「俺は何が好きなんだろう?」と思ったら、車が好きだったんで。

Rock oN:音楽じゃなくて??

佐藤:音楽で喰うということはすごい難しいなあと、なんとなく理解してたんです。自分でオリジナルの曲を書いてた訳でもないし、ツテがあるわけでもないし。で、車が好きだったので、車関係の会社にタイヤ交換員として入ったんです。会社が終わると、ドラムの古谷君の家の離れはみんなが集まる場所になっていて、セッションをするようになったんです。

その中から、僕は参加してないんだけど、岡本兄弟がギターとベースをやるフライングパンプキンズというバンドが出来て、彼らが「音源を録りたい。」ということになり、「じゃあ誰が録る??」という話になったんです。僕も含めてみんな、どうやって録るかといった知識などなかったんですが、「そういえば、洋介ってオーディオバカだったよな?」という話が出て、「録ってくれないかな。」と僕に頼んできたんです。それで本屋に行って「レコーディング教本」みたいなのを買って、初めてマルチ・トラック・レコーディングの仕組みを知り、4トラックカセットMTR のTASCAM PORTA TWOを買いました。HSといって倍速なんですが、そこにこだわって買ったんです。

その後、フライングパンプキンズのレコーディング用として、岡本(兄)を僕がそそのかしたようなもんなんですが、彼にYAMAHAの8トラックのMTRを買わせました。あと、FOSTEXのヘッドフォン・ディストリビューターをみんなでお金を出し合って買って、フライングパンプキンズのレコーディングを行いました。マイクは、その場に合ったカラオケ・マイクとかを使ってました。フライングパンプキンズの2作目になる頃には、古谷君がTASCAMの16チャンネル/8バスのミキサーとハーフインチのMTR FOSTEX R8を買って結構本格的なレコーディングになりました。

Rock oN:佐藤さんは録るばかりで、演奏には加わらないんですね。

佐藤:はい。音が重なって曲が完成されていくプロセスが、やってて楽しかったんでしょうね。フェーダーを上下するだけにしても、例えばベースの音量が変わればグルーブ感が変わり、バンドの全体の音に影響することに気がついて興味が深くなっていった時期ですね。その頃から機材について、もっと知りたくなりました。

Rock oN:ご自分の作品の制作は?

佐藤: 曲を作り出した動機は「自分の作品を作る」ということじゃなくて、「この人の音ってどうやって作られているんだろう?」という疑問を解明するところからなんですよ。例えば「レニー・クラビッツのギターやドラムの音ってどうやって作られているんだろう?」と思って、レニー・クラビッツに似た曲を作ったんです。「どれだけ近づけるか」といった単純な考えがあったんです。音のコピーですね。

レコーディングの手伝いからデビューへ -COILのスタート-

佐藤:COILの結成のタイミングというと、はっきりしたものはないんですが、しばらく間を置いていた後に岡本兄弟とまた連絡を取り合い顔を会わすようになったんですが、岡本(兄)が曲を沢山作っていたので「録ってみようよ。」となって、僕はその手伝いを始めたんです。

27、8歳の頃でしたが、お互い会社に勤めてたので、毎週金曜日、仕事が終わった後に集まって録音をすることにしたんです。結構作品がたまったので、岡本(兄)がレコード会社に送ったところ、何社から誘いの返事が来たんです。岡本(兄)と僕はユニットとして活動してたわけじゃなく、岡本定義の名義で作品を送ってたんですが、最終的にデビューが決まったテイチクのスタッフが「これ、どういう方法で録っているんですか?」と聞いてきたので、手伝っている僕の名前が出て、僕も打ち合わせに顔を出すようになったんです。

テイチクからデビューが決まって「事務所を探そう。」となったんですが、 テイチクのディレクターが、当時やっていたスガ シカオさんのラジオの出待ちをして、出て来たオーガスタのスタッフに僕らのデモテープを手渡ししたんですよ!「こういうのやろうと思っているんですけど、興味があったら連絡ください。」と言って。今考えると「なんで直接会社にアポとって行かないんだ?」と思いますけど(笑)。結果的には社長が気に入ってくれ、連絡が来たのでよかったんですけどね。社長から「2人でやった方が面白いんじゃないか。」と言われて、2人のユニットとしてデビューすることになったんです。

フィルに命をかけてパッドを叩く! -手ドラムという手法-

Rock oN:そのデモテープはMTRを使って宅録したんですよね?

佐藤:はい。独特のサウンドでしたね。4トラックのカセットです。ドラムはリズムマシンのYAMAHA RY30を使ったんですが、それは打ち込まずにすべて手でパッドを叩いて演奏したんです。

Rock oN:えっ、MIDIは使わなかったんですか?

佐藤:全く知りませんでした。

(一同笑)

佐藤:パンチインさえもしませんでした。間違えたら、最初から最後まで「手ドラム」をやり直し。クリックもないです。 フィルも満足できるまで何度も何度も。平均して2、30テイク録るんですよ。最長は100テイクやった曲もありました。

Rock oN:すごい。。。テープもへたりますよね?

佐藤:へたるんですけど、音質よりもプレイを重視したんです。もともとバンドなのでバンドのグルーヴ感が欲しく、打ち込みのカチカチした感じがすごく嫌だったんです。

ロープランドの心臓 -TL-AUDIO VTC 32チャンネルミキサー-

Rock oN:今お使いのミキサーはどうしてこのTL-AUDIO VTCにしたんですか?

佐藤:2002年に導入したんですが、どっかのレコーディングスタジオへ行った時に海外のレコーディング機材の雑誌が置いてあって、パラパラ見ていたらTL-AUDIOのチューブミキサーが発表されていたんですよ。ふざけて事務所の社長に「今度イギリスに行くんですよね?これ買ってきてくださいよ。」と言ったんです。それまで使っていたTASCAM M3500のガリがひどくなって、さすがにもう使えない限界まで来ていたということもあったので、「じゃあいいよ、買えよ。」と言って下さって。

Rock oN:購入前に音は聞いてないんですか?

佐藤:聞いてないです(笑)。僕、青色が好きなので見た目で決めました。Logicも昔のパッケージは青色だったのでLogicにしたんですが、今は全然青じゃなくなっちゃった!

(一同笑)

佐藤:で、TL-AUDIO M4を注文したんですが、その時、9.11事件がちょうど重なって、船便の遅れで3ヶ月くらい待ちました。その間、制作も中止です。

(一同笑)

Rock oN:外のスタジオを使うという選択もあったんですよね?そこまで、自分のスタジオにこだわる理由は?

佐藤:機材に振り回されるのが嫌なのかもしれないですね。自分で作る音は自分で把握しておきたいという思いがあります。最近、他のエンジニアとお仕事をして「こういう方法もあったか。」と思うようにもなりましたけど。でもCOILの作品となると、作曲した時点で想像した音にするためにもTDは僕がやることになりますね。

Rock oN:今後の予定や目標はありますか?

佐藤:今、他のアーティストのサウンド・プローデュースの仕事もやっていますが、さらに自分のサウンドをつきつめて、もっとやって行きたいです。相方の岡本は作家として才能があるので、他のボーカリストに曲を提供したり、お互いにレベルアップしながら、さらにCOILとして活動の幅を広げられればいいなと思っています。

Rock oN:最後にですが、佐藤さんにとって音楽とは何でしょうか?

佐藤:僕の人生の幅を広げてくれたものですね。昔は「エンジニアになる」なんて想像もしてなかった訳ですから。音楽の楽しみ方をさらに広げてくれました。

スタジオには、現在使われているDAW周りの新しい機材に加え、デビュー前から使われてきたという数々の古い機材も並列して置かれていました。その内、ほとんどが現役で動くということかで驚きです。常にスタンバイOKの状態で置かれていたこれらの機材。デビュー前から今まで、COIL独自のサウンドを作り上げて来た製品達は、ただの道具として以上に、大きな存在感を示しているように映りました。佐藤さんの「機材に振り回されるのが嫌なのかもしれない」という考えには、COILの辿って来た道のりと共に使い込んで来た機材への愛情が反映されているようです。

このコーナーでは、音を作り出す活動をされている方の出演を募集しています。ミュージシャン、サウンドエンジニア、作曲家、アレンジャー、はたまた音効さんや声優さんなどなど。音楽機材に興味を持っているかたなら、なおOKです。お気軽に、下アドレスまでご連絡下さい。また、ご感想、ご希望等もお待ちしております。連絡先アドレス : store-support@miroc.co.jp

ROCK ON PRO、Rock oN Companyがお手伝いさせていただいております!

Pro Tools HD、VENUEシステムをはじめ、ROCK ON PROでは業務用スタジオから、個人の制作環境を整えたい方まで様々なレンジに幅広く対応致します。専任スタッフが、豊富な納品実績のノウハウをもとに機材選定から設計/施行、アフターケアにいたるまで全て承ります。また、レコーディング機材をはじめ、楽器のご購入や中古商品、機材買い取りのご相談はRock oN Company渋谷店へお気軽にお問い合わせ下さい!