ベルリンでレコード作りに開眼
2016年、山根氏はドイツのベルリンに渡り、アート活動の盛んなクロイツベルク地区に部屋を借りて、レコーディングやミックス業務を主体としたAltphonic Studioを開設。もともとダブカッティングには興味を持っていたものの、まさか自身がレコードカッティング業務を始めるとは思っていなかったそうです。
しかし、意外な場所でレコード制作に開眼することになります。新居に必要な家電を求めてベルリンの家電量販店を訪れると、レコードコーナーが大々的に展開されていて、配信リリースされている新曲がレコードでも販売されている状況に大変驚いたのだとか。「当時の日本では一部のファンを除いてレコードへの関心が低かったので、大きなカルチャーショックを受けましたよ。配信でも聴ける曲をわざわざレコードで買う人が大勢いる!これはリスナーが音楽作品に対価を支払う、音楽ビジネスの最後の砦だと確信しました。自分が飛び込む分野として、ここしかないと」(山根氏)レコード売上の見込みが立てば音楽制作に予算がかけられて、お金と音楽制作の好循環が生まれます。新曲を聴きたいリスナーと、新曲を作りたいクリエイター双方に、持続可能なエネルギーをもたらす音楽媒体、それがその元祖となるレコードだったというわけですね。
ラストサムライに認定され、ダブカッティングマシーンを入手!
ドイツのVINYLRECORDERというデベロッパーがダブカッティングの機械を販売していて、山根氏はドイツに渡る前から購入希望メールを何度も送ったものの、なかなか良い返事が得られませんでした。しかしドイツ移住後、いつでも買いに行けるというメールを送ったところ話は急展開。現金でのみ販売可能ということで、山根氏は日本円で約100万円という大金を抱えながら、ベルリンから飛行機に乗ってさらに車で何時間という場所まで、怖い思いをしながら向かったのだそうです。
ダブカッティングの研修を受けないとマシーンを購入できないということで、連れていかれたのはなんと、、、ブタ小屋!なかに入ると山根氏の頭に、初心者を意味するグリーンのシールがペッタリと貼られました。参加者は4人いて、それぞれにカッティングマシーンが与えられて研修スタート。その内容は、カッティング針を交換するレクチャーがあって、あとはCDプレイヤーからカッティングマシーンにオーディオを入力して、ひたすらカッティングしなさいというもの。「研修といってもお爺さんが横のソファで寝ているだけで、どういう音を作ればレコードに綺麗に入るとか、そういった技術的なノウハウは何も教えてもらえませんでした。過大入力するとカッティングヘッド保護のためにマシンのヒューズが飛ぶんですけど、そうするとお爺さんが激怒して発狂するという。これのどこが研修なんだ?と本気で思いましたよ(笑)」(山根氏)その修行は朝から豚小屋に入って夜中の1時まで!トイレもなく、不運にもお腹を壊していた山根氏はひたすらトイレを我慢したそうです。うーむ、、まるで、罰ゲームみたいな話です。
「研修が終了するとブタ小屋から全員出されて、一人一人が別部屋に順番で呼ばれました。部屋に入ると、これまではお爺さん一人だったのにもう一人、マッチョで全身タトゥーだらけの大男が居たんです。自分はお金を渡したあと埋められてしまうのかとドキドキ震えながらお金を渡しましたよ。お爺さんが紙幣の一枚一枚を、気が遠くなるくらいゆっくり数える様子を、私はただじっと見つめていました。OKとなった瞬間にこのマシーン(T560)を持って帰りなさいと。そのときお爺さんから言われたのは “日本人は内容を分かっていないくせにYesばかり言って購入して、買った後にトラブルになったことがあるから嫌いだ。だからあなたは日本人でこれを購入できる最後の人だ” ということで、緊張しながら受け取りました」(山根氏)
外国語を話すとき、ついつい笑顔でYesを連発してしまうワタクシには胸の痛むエピソードです。ブタも研修現場にいたのか聞きそびれてしまったのですが、そこはご想像にお任せします。余談ですが、ドイツにも「豚に真珠」と同じ意味のことわざ「Perlen vor die Säue werfen(豚に真珠を投げる)」があるみたいです。
山根氏は2019年に日本へ帰国。VINYLRECORDERで購入したT560のモーターやアンプを自身でアップグレードしたほか、モディファイを重ねて今やその原型をとどめないほどに進化させました。「ダブカッティングに関しては私のモディファイモデルに勝るマシンは無きに等しく、世界でもトップクラスのノウハウを有していると自負しています。ラッカーマスター盤(アルミ板にラッカー樹脂を塗布した、レコード量産用のマスター盤)の制作も可能です」(山根氏)そんな山根氏がいまあの研修現場を訪れたら、いったい何色のシールが頭に貼られることになるのでしょうか。
レコードの魅力
ーーーダブカッティング・マエストロの視点から、レコードの魅力について語って頂きました。
「音を記録する技術がアナログやデジタルで多数存在するなか、レコードが決定的に違うのは物理振動を記録するということです。音声の電気信号をアンプで増幅して、カッティングヘッドを振動させてレコード盤に溝を切ります。カッティングヘッドは電気信号を物理振動に変換するという意味ではスピーカーと原理が同じなので、レコードには空気を振動させる情報がアナログ領域で記録されているのです。空気の振動がマイクのダイアフラムで電気に変換され、その電気をコイルの電磁誘導で振動に変換して、レコード盤に溝を切る。空気振動に始まって、振動の溝を記録するという一貫したプロセスは、情報の変換ロスが少ない記録方式ということになります。マイク入力をアナログ信号のまま直接ダブカッティングすると、本当にそこで歌っているかのような、非常に鮮明なサウンドが録音できますよ。DSDよりもリアルにです。
レコードはカッティングヘッドが物理的に振動するので、そこに倍音が生まれるということも重要なポイントです。例えば1kHzを中心とした声の帯域では、偶数倍音であれば 2kHz / 4kHz / 8kHz / 16kHzが発生し、そういった倍音がレコードの音色を生み出しています。レコードは声の帯域を記録することを考えて開発されたこともあって、人間の耳に一番反応して感性に訴える音は、中域の情報量につきると思います。中域の情報量で得られるのは空気感で、一般的に言われるハイエンド帯域の空気感だけではなく、中域の空気感も人間の耳には大切なんです。レコードに記録できる、有効な周波数帯域は50Hz〜14kHzくらいまでになりますので、中域に重点を置いた音楽であればレコードで聴くのがベストなんです」(山根氏)
レコードに刻まれるたった1本の溝のなかには、自然界の偉大な物理テクノロジーが隠されていたのですね。そして物理的な振動には倍音がつきものということで、レコードに感じる音の豊かさや立体感には、倍音が少なからず影響していたのです。ワタクシ、今後は中域の空気感というものを意識して、中域に耳をこらして生活したいと思います。
ボイスメッセージをレコードに刻んでプレゼントするサービスも大好評。人生の大切な節目に、普段なかなか言えない感謝の気持ちや、熱いメッセージを形に残せるのも嬉しいですね。レコードプレイヤーもセットで贈れるので、もらったその場で再生できます。
山根氏が切り拓く次世代のレコードカッティング
「ハーフスピード・カッティングでは、溝を切るスピードを通常の半分に下げます。レコード再生時には相対的に倍速となるので、記録できる解像度が2倍に上がるのです。
メリットはそれだけではなくて、半分のピッチに下がるということは波形の振動エネルギーが大きくなって、音の立ち上がりを正確に刻むことができる結果、通常再生した際の高域の再現性が飛躍的にアップします。
これはレコードだからこそ実現できるテクニックで、コンピューターで溝の幅と深さを正確に制御できる最新カッティングマシンの導入がカギとなりました。1970〜80年代のカッティングマシンに比べて駆動系の制御が正確なので、最新マシンがハーフスピード・カッティングに絶大な恩恵をもたらします。
ロンドンのアビーロードスタジオに、この分野の唯一の巨匠、マイルス・ショーウェル氏がいるので、5月に情報収集に行ってきます。レコードカッティングはテストプレス盤を聞くまで仕上がりが全く分からない、完全カスタムメイドの世界です。問題なく溝を切れる限界まで、入力レベルを何度も何度も試しながら追い込んで切る。手間暇はとてもかかりますが、音は抜群に良くなりますよ」(山根氏)
実際にハーフスピードに落としたマスター音源を聞かせて頂きましたが、音程が1オクターブも下がったダークでスローな楽曲を聞きながら、仕上がりをいったいどう判断するのか全く想像がつきませんでした。レコードカッティングに並々ならぬ情熱を注ぎ、さらに高品質を追求して今度はロンドンにまで飛ぶ。そんな山根氏のストイックな姿勢にワタクシは感銘を受けました。
ありとあらゆるニーズに対応可能
2023年4月24日取材 Writer:SCFED IBE
※この記事は Proceed Magazine 2023号 NO.28号(2023年7月6日発売)に掲載された内容より抜粋しました。
2023年9月23日追記:山根氏ご本人から、アビーロードスタジオ体験レポートをお送り頂きました!
山根氏がアビーロードスタジオで仕上げたレコードは、ただ今絶賛発売中! ご興味ある方はぜひ下記リンクよりお問合せ下さい!
https://www.altphonic.com/post/suitcase_rhodes
記事内に掲載されている価格は 2023年3月23日 時点での価格となります。
最新記事ピックアップ