デザイン、サウンド、サービス、三拍子が揃ったブランドの一つと言えるManley Labs。NAMM 2016でも同社ForceがTEC Awardに輝くなど今更に勢いを増す同社を率いるエヴァンナ・マンレイ氏、その人に話を伺った。そこには完全なる『イン・ハウス』開発フローに加え、世界中のエンジニア達とつながる南カリフォルニアならではの地域性がもたらす奇跡があった。
私たちが出会うまでの”ヒストリー”
RockoN(以下R): はじめに、Manleyに勤める以前の経歴(バイオグラフィー)を教えてください。
m: とても若い頃のことだけど、私の最初のキャリアといえば、高校に通ったことかしら(笑)。大学では音楽を勉強していました。物理のクラスも取ったけど、大学ではエレクトロニクスの勉強は必修ではなかったの。私がエレクトロニクスの勉強を始めたのは、最初の会社に勤めてからよ。最初の1年は製造ライン勤務だったわ。それで、機材のイクイップメントを向上させるためのテストについて勉強し始めたの。今のビジネスを始める前はそんな感じかしら。1990年代前半、私が働き始めた頃のことよ。
R: なるほど、エレクトロニクスのキャリアは大学卒業後からだったんですね。それからManleyの一員になるまでにはどのような経緯があったのですか?
m: Manley Laboratoriesが設立される前にはVTL(Vacuum Tube Logic)という会社があったわ。デビッド・マンリーとルーク・マンリーの会社よ。おかしな話をひとつしようかしら。私の父は1960年代にAmpegに勤めていたの。有名なSVTアンプの開発に関わったひとよ。彼は継父だったから、私はその頃はまだ一緒に暮らしていないのだけれど。彼が母と結婚したのは1972年に彼が会社をMegaboxに売却した後のことだったから。彼は1976年に母と結婚したの。だから私は父からとても刺激的な話をたくさん聞いて育ったわ。ローリング・ストーンズ、ジョニー・キャッシュ…分かるでしょ?彼は世界中のロックンロール・スター達にアンプを売ってきたのよ。父が語ってくれたいくつもの”グッド・ストーリー”は、私の人生にとても大きな影響を与えているわ。
二つ目は私がコロンビアにいた頃の話よ。ある著名なコンサート・プロモーターが突然私のクラスで講義をしてくれたの。誰だと思う?ビル・グラムよ!彼はサンフランシスコの音楽シーンの重要人物で、フィルモア・イースト/フィルモア・ウェストでたくさんの有名なコンサートを開催したひとよ。ビル・グラムの目の前に座っているということにゾクゾクしたわ。その時の私は彼が何者なのかすでに知っていたの。ジャニス・ジョップリンの「Big Brother & the Holding Company」で冒頭のアナウンスをしているのが彼よ。このアルバムで一番最初に聞かれるのは彼の声なの…”Four Gentlemen, one great great Load…”って、ジャニスとバンドを紹介するのよ。私は学校を一学期の間休学してカリフォルニアへ向かったわ。グラム氏を探し出して彼と一緒に仕事をするためよ。当初は一学期だけのつもりでカリフォルニアまで行ったけれど、結局そこに留まることになったわ。
その後父がAmpegで部下だった人を三人紹介してくれたわ。最初のひとは電話に出なかった。ふたり目はFenderで働いていたの、ロジャー・カークスという人よ。彼はFenderの採用出願書類を送ってくれたの。申請書を送ったら一週間後に彼から電話があって、「南アフリカから来た二人のクレイジーに電話しなさい。彼らはカリフォルニアのチノ(Chino)で真空管アンプの会社をやってる。」と言うのよ。おかしな話だと思ったけど「OK、とにかくありがとう」と言ったわ。このイカれたふたりというのが、デビッドとルークのマンリー親子のことよ。これが私たちが出会うまでの”ヒストリー”よ。
そうして私は彼らの会社の製造ラインで働き始めたわ、ただ回路基板を組み立てるだけの部署よ。半田付けのやり方から学んだわ。それまで半田付けなんてしたことなかったから完全に初心者だったわ。そして数年の間に工場では本当にたくさんの仕事をしたわ。QC(クオリティ・コントロール)もやったし、工場を運営していくための多くのシステムも構築したわよ。何年経ってもすべてのことが勉強の連続だったわ。カリフォルニアに来たのは1989年、26歳の時だったから、随分長いこと暮らしているけど、いつもその時のことに一生懸命だったわ。Manley Lobsは1993年にVTLから分離する形で設立されたの。当時の場所に残ったはManleyの方よ。ご存知かと思うけど、10,000フィートの高層ビルね。
人のネットワークが育むプロダクト
R: 常に勉強の連続、エヴァンナさんの繊細で真摯な姿勢が良くわかります。ところでよくバイクにまたがっている写真をお見受けしますが、若い頃から、なんというか…勇猛果敢な性格でいらしたのでしょうか?
m: ハハハ!英語ではTomboy(おてんば)と言うけど、私はまさにおてんば娘だったわね。子どもの頃、祖父母のところに遊びに行くと、私は必ず祖父のあとについていたわ。森の中をジープで走って、何かを作ったり、祖父の仕事を覚えたり…姉妹はみんな祖母と一緒に家にいたけど、私はいつも祖父について行ったわ。彼が私にバイクの乗り方を教えてくれたの。私が11歳の時よ!いつだってハードに遊ぶのが好きなの。お家でおとなしく編み物してるなんて耐えられなかったのよ。それは私のやることじゃない、ってね(笑)。
R: とてもダイナミックなお祖父さんだったんですね! ハードな挑戦を続けるエヴァンナさんがManleyで会社を続けていくモチベーションはどこにあったのでしょう?
m: そうね、少し悲しい話をするけど1996年にDavidが会社を去り、フランスに渡ったわ。知っての通り、その後離婚もしたわ。そのことに腹も立っていたの。分かると思うけど、それまで以上に成功すること、本当の意味で成功することが一番効果的な乗り越え方になるというのはよくあることよ。それが最初の頃の大きなモチベーションのひとつね。再開した時にこう言うためにね。「あなたもうまくやってるみたいね。私たちもうまく行ってるわ。すばらしいチームを作り上げたし、すばらしい製品を作っているわ」って。
R: とても格好良いストーリーです。Manley創業から今の成功に至るまで、どのようなポリシーで製品開発を進めて来られたのでしょうか? また外部とのリレーションシップはどのように取られていますか?
m: ラッキーなことに私たちはLAからとても近いところにいて、ハリウッドにはたくさんのエンジニアがいるわ。彼らにプロトタイプのαテストをしてもらっているわよ。うまくいくこともあれば、怒らせちゃうこともあるけど(笑)。本当に最初のプロトタイプを彼らに持って行って、どんな意見でも聞いて来るわ。「気に入らないな。このコンプレッサーはダメだよ。アタックタイムをもっと早くしなきゃ」とか! これは南カリフォルニアを拠点にしていることの本当に大きな利点だと思うわ。
R: プロフェッショナルの声を取り入れている、ということですね?
m: そうよ!協力してくれる人たちが同じエリアの中にたくさんいるわ。たとえば新しいElop+の場合は20年来のElopユーザーであるエンジニアのところに最初のプロトタイプ持って行って、20年近く前のオリジナルElopと比べてもらったの。新しいバージョンが古いバージョンと比べてどうかということについて、彼はそれはもうたくさんのフィードバックをくれたわ。だから、Elop+はRossが持っているオリジナルElopとまさに瓜二つのサウンドに仕上がったわ。 そんな感じで、エンジニアとはとても密接な関係を築いているわよ。
Manleyサウンドの秘密
R: 南カリフォルニアの地域性と技術の賜物ということですね。我々もManleyのサウンドには、真空管を使用している、という以上の個性があると思っています。Manleyサウンドの秘密はどこにあるのでしょう?
m: 機材には、力強く音楽的なサウンドがとても重要よ。部品(コンポーネント)や構成(トポロジー)の選択も関わってくるし、いつでも実際に音を聴き比べているわ。いい音がしない機材を作るわけにはいかないの、音のいいものを作る必要があるわ。真空管というと、歪んだ音を想像する人がいるけど、私たちは簡単に歪むようなものは作りたくないの。高いヘッドルームがあり、スピードの速いサウンドが好きよ。汚れて荒れた音ではなくてね。トランスによる変化で音を太くすることもできるけれど、大抵の場合「Manleyサウンド」とは、とてもクリーンで力強い音のことよ。
R: 真空管回路なのにクリーン、その力強さに魅せられたファンが日本にもたくさんいますよ。実際多くの方にManleyが選ばれている理由はどのようなものだとお考えですか?
m: そうね。まず、たくさんのひとに選んでもらっているのはとても素晴らしいことよ。感謝してる。ほかには、企業として長い歴史があるということかしら。1989年から、レコーディング・スタジオ向けの製品を作り続けているわ。そして、私たちはすばらしいカスタマー・サービスを持っているわ。彼らとは20年くらい一緒にやって来たんじゃないかしら。世界中の誰でもサポートするわ、とても信頼している。
それと、世界中にすばらしい代理店もいてくれるわ。彼らもそれぞれ優秀なカスタマー・サービスを持っているわね。私たちは20年以上一緒に仕事をしてきた。こうしたことのすべてが、世界中にとても強靭なヒューマン・ネットワークを形成しているの。ひとの繋がりはとても重要よ。いい機材の情報は瞬く間に世界を駆け巡る。私たちは世界中のひとたちと繋がっていると思っているわ。
全てが「イン・ハウス」で行われる開発プロセス
R: 人々のつながりこそが力なんですね。少し最近の話になりますが、この二年間これまでにない早いペースで新製品を発表しています。ブランド戦略に変化があったのでしょうか?
m: 設計の段階で、より共同的で成熟したアプローチを取るようにしたの。誰かひとりが部屋にこもって、半年もかけて設計した挙句、いざ製造に入ったらここが大きすぎるとか、そこが小さすぎる、ということがないようにね。今やっている方法では、まず「ヘッド」をプランするのよ。集まって、一緒に議論するの。市場が私たちに求めているものは何か、市場の要求を足し合わせて何かできないか、とかそういうことをね。時には昔のプロダクトの再考が必要になることもあったりして、それからマーケティングに入るわ、成熟した企業がみんなそうするように、この製品が成功するためにはこれ以上高くてはダメだ、とかいうことね。私たちはよりよい「チーム」になってきていると感じているわ、エンジニアリングの「チーム」よ。たったひとりの「エンジニア」ではなくてね。これが一番大きな変化よ。この企業としての成熟が、常に新製品をリリースすることを可能にしていると考えているわ。
R: 職人気質とチームワークの融合ということですね。実際製品の企画から制作までのフローはどのようになっていますか?
m: それはもうたくさんのステップがあるわ。まず一番最初に、どのような回路を作るのかを決めることから始めることが多いわね。メカ的にどんな構成にするのかについてのラフなアイデアから始めるのよ。PCボードをどうするか、どのパーツをどこに付けるか、とかね。そのやり方がいいと思ってるわ。次に、回路のオーディオ部分を設計して、プロトタイプを製造するわ。時にはひどいものが出来てしまうこともあるけど、上手く行った時にはPCボードに載せて、プロトタイプを製造するのよ。以前のプロダクトから回路の一部をコピーすることもあるわ。プロトタイプが出来たら、ほかのいろいろな機材と聴き比べて、ハリウッドのレコーディング・エンジニアたちにαテストをしてもらうのよ。そしてフィードバックを受け取るわ。最初の段階はこんなところね。
R: つまりすべてのプロセスは社内で完結するのですね?
m: そうよ。完全に「イン・ハウス」よ。フィードバックを受け取ったら、プリプロダクションの前にもう2、3個のプロトタイプを製造することもあるわ。プリプロダクションというのは、発売する製品を20ユニットだけ製造して、それらがすべて完動することを確認するためのものよ。これらは社内で所持することにしているわ。あとで問題が発生した時に参照するためよ。
R: 円滑なサポートにも一役買っているわけですね。Manleyの製品はその音はもちろんのこと、外見も一目でManleyとわかる特徴があると思います。外観のデザインについてはどなたが担当されているのでしょう?
m: Manley Blueと呼ばれるブルーに、ブラックがインレイされているオリジナルのデザインは、1980年代にDavid Manleyによって考えられたものよ。これはほかの誰にも真似できないクールなデザインだったわ。まさにラグジュアリーなマシーンだった。私自身が初めてデザインした製品はVoxBoxよ。フェイス・プレートのデザインを描いたのよ。鉛筆でね。鉛筆だってまだ持ってるのよ(笑)。デザインにあたっては、人間工学を取り入れて使いやすいものにしたかったの。三角形と楕円形の組み合わせにすることで、どのセクションがどこにあるのか、簡単に覚えられるようにしたのよ。これまでのインレイというコンセプトを踏襲しながらも、四角同士の組み合わせじゃなくて、もっと違ったものにしたかったの。それと、もっと使いやすさを追求したデザインにしたかったのよ。とてもラグジュアリーな仕上がりに満足しているわ。
R: VoxBoxもとてもManleyらしいユニークなデザインでしたね。現在は最終的なデザインをエヴァンナさんが決定しているのですか?
m: 外観のデザインについては、最近は最低限しか関わっていないわ。うちには専任のエンジニアがいるのだけど、今回展示している二つのリミッターは、完全に彼ひとりでフェイス・プレートのデザインをしているわ。彼の仕事はとてもビューティフルよ。多くのカスタマーがManley製品の美しさを歓迎してくれている。5、6年前のNAMM SHOWのとき、有名なシンガーのデビッド・クロスビーが私のところへやってきて、「おお、Manley…まるで宝石のようなオーディオだ!」って言ってたわ(笑)。彼はManleyのプロダクトを7個所有していて、その美しさをとても喜んでくれているわ。
R: デザイン、サウンド、サービス、すべてが揃ったManleyだからこそのストーリですね。最後に日本のユーザーに向けてメッセージをお願いします。
m: 日本に行く度にいつでもとても楽しいわ。すぐにまたみなさんにお会いできることを願っています。そして、いつもManleyを応援してくれてありがとう。何年にも渡って日本は私たちにとって最良のお客様よ。サンキュー!新製品の開発も続けているわ。Nu-Muを完成させるために数人の友人の協力を得られることになったの。そうしたら、次のプロダクトの開発に移るわ。これは長い時間がかかると思う。
R: 次はいつ日本に来られそうですか?
m: InterBEEの時期には日本に行きたいと思ってるわ。
R: もちろん、バイクで?(笑)
m: 無理よ!まだ道路の上しか走ったことないもの!(笑)
記事内に掲載されている価格は 2016年9月2日 時点での価格となります。
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